足沢山系 毛猛山

バリエーションコース

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アクセス・コースタイム

2027年5月3日(水・祝)~6日(土) 晴れ
 
5月3日(水・祝)
電車:京成高砂[7:32発]-JR上野駅-JR高崎駅[9:44着](山田さんと合流)
   -JR高崎駅[10:24発]-JR水上駅[11:28着/11:40発]-
   -JR小出駅[12:56着/13:11発]-JR大白川駅[13:56着](4,750円)
 
徒歩:JR大白川駅[14:05出]-(国道252・途中ヒッチハイク)-
   -小雪前沢2号スノーシェッド[15:00着]-
 
徒歩:小雪前沢2号スノーシェッド[15:05発]-
   -線路に降り鉄橋を渡った登山口[15:10着]-
   -鉄塔下[15:30着/15:35発]-674m小ピーク[16:16着]-
   -711m小ピーク[16:23着/16:30発]-
   -1000mの肩[17:55着]-足沢山1107.0m[18:20着]
   -テント泊
 
5月4日(木・祝)
徒歩:足沢山[4:45発]-太郎助山[7:40着/7:50発]-
   -百字が岳[8:55着/9:05発]-中岳[9:47着/9:55発]-
   -標高1490m、ここでメガネをロスト[10:55~11:15]-
   -毛猛山1517.0m[11:30着(昼飯)12:35発]-
   -中岳[13:45着/13:55発]-百字が岳[14:35着/14:45発]-
   -太郎助山[15:50着/16:15発]-足沢山[18:50着]
   -テント泊
 
5月5日(金・祝)
徒歩:テント撤収・足沢山[8:00発]-1000mの肩[8:20着]-
   -674mの小ピーク[9:40着/9:50発]-鉄塔下[10:10着]-
   -線路[10:30着/10:40発]-国道[10:45着(フキノトウを取る)]-
   -小雪前沢2号スノーシェッド[10:55発]-(途中ヒッチハイク)-
   -JR小出駅[12:35発]-
   (大衆食堂「富貴亭」で「へぎ蕎麦」を食す)
 
電車:JR小出駅[14:25発]-JR水上駅[15:46着]-
   -(駅前の観光案内所「水上温泉旅館協同組合」で宿探し)
 
送迎:観光案内所-日帰り温泉「湯テルメ・谷川」(町民値段300円)
 
送迎:入浴後、民宿「恋沢山荘」へ[17:45着](素泊まり3500円/人)
 
5月6日(土)
徒歩:民宿「恋沢山荘」[7:55発]-JR水上駅[8:30着]
 
電車:JR水上駅[8:58発]-JR高崎駅[10:03着]-
   -(駅のコンコースの立ち食いそば)-
   -JR高崎駅[11:23発]-(大宮駅で山田さんと別れる)-
   -京成高砂[13:38着]

【はじめに】

アタックの当日、日の出とともに出発し、
雪庇とヤブ尾根を歩くこと約6時間半。ついに到着した。
「やっと着いた。長かった。」
それがその時の感想だ。
 
山頂直下、ヤブが低くなると目の前が開けた。
狭い草原に三角点の石標。その先には大きな雪庇があるだけ。
それ以上高い尾根がなくなっていた。
山頂に着いたのはその瞬間だった。
 
昨年は雪不足で断念した山頂に、
今、二人で立っている。
少ない経験ながら、奥多摩などでバリエーションコースやヤブ山を登ってきたが、
これほど、長かったコースはなかった。
 
二人で独占している山頂で祝いの酒を酌み交わす。
日本酒が乾いた喉を通過する。
天気は快晴。景色は360度の大展望。
「毛猛山」に登った感動をゆっくり噛みしめる。
 
山座同定を楽しむと、また、同じヤブを辿ってテントへと帰った。
4月になり、今年こそはと週間天気予報を調べては一喜一憂していた。
山田さんは3年越し、自分も2年越しのこの計画。
2年前、山田さんは時間切れで。去年は二人で計画するも雪不足であきらめた。
今年こそは登りたい。
その願いが通じたのか、連休後半の天気予報は晴れマークで安定した。

  
 

5月3日(水・祝)憲法記念日

本数の少ない「JR只見線」に合わせ、山田さんと「高崎駅」で合流する。
ちょうどその日は、SLの臨時列車が走るとあって、ホームは家族連れでごったがえしていた。

 

 
合流すると、さっそく山の話で盛り上がる。
普段、電話で話しをしていても、話題にはこと尽きない。
「水上駅」で「長岡行き」に乗り換える。
窓の外は、桜と桃、山吹が満開だった。
意外にも電車は混んでいた。連休だからしかたない。
う~ん十年ぶりに「土合駅」の地下ホームを見た。
 
上越国境を越え、ここで小さなアクシデントが発生。
居眠りしていた自分を山田さんが起こしてくれた。
てっきり「小出駅」だと思ったら、そこは「浦佐駅」だった。
自分が先に気付いて、列車に山田さんを連れ戻しに事なきをえた。
 
「小出駅」で「JR只見線」に乗り換える。

 
二人とも残雪の山とブナの新緑に見入っていたら、下車する「大白川駅」を乗り越しそうになって、慌ててザックを担ぎ列車を飛び降りた。
2度目も運は自分達に味方してくれた。

 
そんなこんなで、自宅を出てから7時間、やっと「大白川駅」に到着した。
駅の2階は蕎麦屋になっていて、入口には10名ほどの客が並んでいた。
人気の蕎麦屋だそうだ。
 
駅からいよいよ歩き始める。
景色は春真っただ中。
まずは、目に眩しいブナの新緑。
そして、今年は少し遅いと言われている桜の淡いピンク色。
山は、残雪の白と、葉を落とした樹々の白黒のコントラスト。
地面は、枯れた草原にカタクリの紫とフキノトウの淡い緑。
どこを見ても素晴らしい春の景色だ。

 
国道を30分程歩き、いつものお約束、ヒッチハイクをするため山田さんが手を挙げる。
長岡ナンバーのワゴン車には、初老のお母さんと息子さんが乗っていた。
お母さんのためにドライブに来たそうだ。
息子さんは渓流釣りと山登りが趣味だと、お母さんがとても喜んで話してくれた。
乗せくれてありがとうございました。
登山口に近い「小雪崩沢スノーシェッド2号」に着き、お礼を言って別れた。
 
15時ジャスト出発する。
崖を下り線路を歩く。鉄橋を渡った先で、山に取付く。
ちゃんとした路はないから、皆こうして山に取付く。

 

 

 
残雪の小ヤブを少し登る。踏み跡は、はっきり分る。
天気は晴れ、気温は22℃。少しすると汗ばんできた。

 

 

踏み跡の両脇には、「イワウチワ」の淡いピンクの花が咲き乱れている。
この先、尾根の両脇には、ずうっと、ずうっと「イワウチワ」が咲いていた。
 
※「イワウチワ」と似た種類で「トクワカソウ」「オオイワウチワ」がある。
今回、山で見たのは、「トクワカソウ」かもしれない。
差は、「イワウチワ」のほうは葉の基部がくびれているのに対して、
「トクワカソウ」のほうは円形に近い形だそうだ。

 

 
15時30分、鉄塔の下に着き、ここで1本。
高圧の電気が流れているようで、鉄塔の下にいると「ブー、ブー」と唸っている。
気味が悪い。
ここでヤブに備えてブタ皮の手袋を付ける。

 

 
標高600mあたりから「アズマシャクナゲ」のピンクの花が多くなる。
時々、真っ赤な「ツバキ」の花も見られる。
関東の山ではあまり見かけない花だ。
そして真っ白な「タムシバ」の花。
「ムシカリ」の白い花もあった。

 

 

 
16時15分、取り付きから1時間、標高675mの小ピークを通過。石標あり。

 
更に5分進み、標高711mの小ピークに到着。ここで1本。ここにも石標あり。
見上げると「足沢山」と「太郎助山」の白い頂が見える。いよいよ来た。
振り向けば「浅草岳」が大きな真っ白な裾野を広げ座っていた。

 

 

 

 
そこを出発して少しすると、下ってくる二人組に出会う。
一人は「毛猛山」のピークを落としたが、もう一人は「百字が山」の先で敗退したとのこと。
残念でした。
そして、「足沢山」の山頂にテントが1張りあり、ご夫婦で「毛猛山」を落とし、今日泊まっていると情報を得た。
(このご夫婦に情報が聞ける。)
いつも誰にも会わないバリエーションコースを歩いている自分達にとって、これから行くコースを歩いて来られた方から情報を聞けるのはとても貴重だ。

 

 

 

 
標高711mの小ピークから40分程歩き、標高1000mを超えると樹林帯から抜ける。
その先の尾根は、待望の雪で覆われている。
ここでお楽しみのアイゼンを着用し、ダブルストックで斜面を登る。

 

 
雪の斜面を登ること15分、「足沢山」1107mの山頂に着いた。
雪の小段にテントが一張見えた。
早速、山田さんが情報収集のため、ご夫婦に話しかける。
『登りは雪面を拾えたが、帰りは雪が腐り、安全を考えヤブを通った。
そして山頂直下は猛烈なヤブ』らしい。

 

 
山頂より下がった小段に、テントを張った跡があり、そこを利用しテントを張る。

 
そして夕食作り。まずは雪を溶かし水作りから始める。
夕食は、二人ともコンビニ弁当。
山田さんは、弁当を食べる前にウイスキー、そして日本酒で心を満たしている。
明日の行動を話し合い、20時に就寝した。
その夜は、雪の上だというのに気温は下がらず、寒さを感じなかった。
自分は熟睡できたが、山田さんは夜中に目が覚め、その後眠れなったそうだ。
実は、夜中にクスクス笑い声が聞こえたので、てっきり山田さんが面白い夢を見ているものだと思っていたら、眠れずにラジオを聞いてクスクス笑っていたことが、翌朝で分かった。

  
 

5月4日(木・祝)みどりの日

朝、計画どおり3時半に起床する。
天気は晴れ、風はない。

 
当初、4時に出発と考えていたが、雪面を歩くため日の出を待つことにし、出発を30分遅らせた。
今日の行動はピストンのため、最低限の装備と雪山の装備のみ。
足回りは、ロングスパッツにアイゼンを着け、まずはダブルストックで歩き始める。
「頑張って~」と後ろから奥さんの方が声を掛けてくれた。
元気よく答えて4時45分「毛猛山」に向けいよいよ出発した。

 

 

 
見渡す限り、霜降り肉の様な山、山、山。
そして沢から徐々にブナの新緑が駆け上がってきている。
場所にもよるが、雪はひび割れたお供え餅のようにずたずたに分断され、中には今にも崩れ落ちそうなところがある。
その一つのブロックは、家ぐらいもの大きさがあるのには驚いた。
よくここまで積もったものだ。
 
「足沢山」からアイゼンを着けて500m程進んだところで、雪のブロックが大きな口を開けていた。
仕方なくアイゼンとストックを仕舞い、ヤブに飛び込む。
いよいよ始まったヤブとの闘い。
ストック使ったのは、結局ここまでだった。
「太郎助山」に着いた時、「毛猛山」まで使うことはないと判断し、「太郎助山の山頂にデポした。

 

 

 
ヤブは2mを超える灌木だが密度はそれほどでもなく、たいして苦もない。
この時はそうだったが、10時間も歩き続けた帰りのヤブは、もう辟易(へきえき)していた。
そんなヤブでも足元を見ると、昨日と同じ「イワウチワ」「ショウジョウバカマ」「カタクリ」など早春の花が咲き乱れている。
その量は群落を通り越し、全てが花の尾根になっている。
その後、雪面にトレースがあれば雪面を歩き、途切れるとまたヤブを進む。

 

 

 

 

 
3時間掛かってようやく「太郎助山」に到着した。時間は7時40分。
山頂は3畳程の広さで草付きになっていて、国土地理院の石標がある。
ここで一本。
360度パノラマは最高だ。
南東には目指す「毛猛山」が、前衛峰の「百字が岳」と「中岳」の先に、きれいな三角錐の形でそびえている。
その道のりは、雪とヤブが半々に見える。
南西には、「百字が岳」から伸びる「檜岳」への尾根が見え、登りたい意欲が湧いてくる。
しかし、その尾根も、ヤブはすごそうだ。

 

 

 

 

 
「太郎助山」から、まずは「百字が岳」へ向け篠混じりのヤブを下る。
「百字が岳」との中間あたりから山頂手前まで雪面を辿り、山頂の手前でまたヤブが始まる。

 

 

 

 

 
一ヶ所、岩場があるが、ちゃんと足場もホールドもあり、怖くはない。

 

 
「太郎助山」から約1時間、「百字が岳」14435mの山頂に着く。
ここも360度パノラマを独り占め状態である。
相変わらず天気は晴れ、風無し。

 
毛猛山は右

 
左が毛猛山、右は檜山

 

 
「百字が岳」から下り。

 

 
「中岳」への下りもヤブで始まる。
中間に5m程の岩場があり、注意して進む。
雪面を拾って歩くが、朝より少し雪が腐ってきた。
「中岳」の山頂手前がまた、すごいヤブだった。
 
「百字が岳」から約50分、「中岳」1443mの山頂に到着する。
狭い山頂だった。

 

 

 
ラスト、「毛猛山」のピークに向けて進む。
ヤブを少し下ると、雪面が続いていた。
アイゼンを着けトラバース気味にコルまで下る。
登り斜面も雪面を歩く。
かなり上まで雪が残っていて、ヤブを歩くより楽ができる。
その反面、雪の照り返しと気温の高さとで喉はカラカラになる。
風もなく、汗もダラダラ。体力を奪われる。
朝から6時間近くも歩いているのだから無理もない。
 
コルから半分程登ったところで雪面は終わり、またヤブになる。
力を振り絞って突入する。
「毛猛山」山頂直下のヤブは猛烈だった。
特にツルは手ごわく、引っ張っても切れない。
こんなツルが10本以上絡まったところを通過するときは、一瞬ためらったほどだ。
スマホのアプリが標高1490mを告げた。
(自分のアプリは、定期的にその場所の標高をしゃべる。)
 
そんな時、立木が顔に当たり、その衝撃でメガネがすっ飛んだ。
今朝、いつもは頭に巻いているバンダナをダウンジャケットのポケットに入れたままにしてしまい、メガネを固定するものがなかったからだ。
メガネがなくなったことを山田さんに伝えると、一緒になって探してくれた。
5分。10分。15分と時間が過ぎる。
しびれを切らした山田さんから『予備のメガネを貸す』と言ってくれた。
もうこれ以上時間をロスしたくない。
『諦める』と言うと山田さんから『あと10分探そう』と声が掛かった。
最後の願いで探すと、すっ飛んだ位置から後方3mのところに落ちていた。
良かった。山田さんが我慢してくれたおかげだ。
 

 
再出発するも、猛烈なヤブは続く。
少しすると傾斜が緩くなり、ヤブも腰高まで低くなる。
山頂手前の肩に出た。そして目の前に小さな草付きが見た。
その草付きに石標が立っている。
11時30分、出発して6時間45分、ついに「毛猛山」1517mの山頂に着いた。

 

 
またテントまで戻らないとならないのに、なんだかこれで終わったような気分になる。
2年も3年も思い続けてきた「毛猛山」の山頂に、今、二人で立てた。
山田さんは、担ぎ上げた三脚を出し、記念写真を撮る。
そして山田さんはウイスキーを、自分は「小出」の駅前で買ったワンカップで祝杯をあげる。
 
山頂は360度パノラマ、地図を出して「越後」の山座同定を堪能する。
さっき登ってきた「太郎助山」までの尾根。その先には「守門岳」「浅草岳」
更に「未丈ヶ岳」への尾根。
「南会津」の「七ヶ岳」「荒海山」「会津駒ケ岳」。
「尾瀬」の「燧ケ岳」
上越国境沿いは、「朝日岳」「巻機山」「越後駒ケ岳」
などなど。

 

 
今朝、テントを出る時、2リットルの水をもって来たのに、もう三分の二を飲み干してしまってた。
帰りのことを考えると心配だ。
そこで山頂の雪を水筒に詰め、溶かす妙案を思いついた。
最近、流行りの「嵩増し」だ。
 
日暮れまでにテントに着きたい。
山頂に着いて1時間、時間はあっという間に経った。
12時35分、山頂を辞す。
 
山頂直下はヤブで始まる。
木は雪の重みで、下向きに曲がっているので、登りより少しは楽だ。
メガネを失くした地点を過ぎ、50m程下ってきたところで雪面に出る。
ここでアイゼンを装着し、登りと同じルートを辿る。
岩場を超えるとヤブに戻る。
水筒の水は残り少なくなり、ちびちび飲むので喉の渇きが癒せない。
あぁ、思い切り水を飲みたい。

 

 
「中岳」を超え、「百字が岳」の手前のコルで一本。
日が傾き、西日が熱い。バテバテで、ヤブ歩きがいやになる。
 
ヤブと雪面が交互になり、14時30分、「百字が岳」に戻る。
「足沢山」のテントまで、残り三分の二。二人とも言葉が少なくなる。

 

 

 
朝、歩いた大きな雪庇のブロックは、朝に比べ崩れそうなところが多くなった。
時々、下の方から雪崩の音が聞こえ、緊張を取り戻す。
ここで死んでも嫌だから、仕方なくヤブを歩く。
長い、暑い、疲れた、喉が渇いた。
 
「毛猛山」から3時間半、「太郎助山」に到着。
山頂手前の登りは、つらかった。
デポしたストックを回収し、ここでもまた水筒に雪を継ぎ足し、嵩増しする。
疲れもピークに達し、ここで大休止。
二人で「毛猛山」に登った余韻に酔いしれる。 

 

 

 

 
日暮れに間に合わない可能性を考え、出発前にライトを準備する。
「太郎助山」からの下りは、やはりヤブだった。
行きに歩いた雪面はひび割れが多くなり、怖くて歩けない。
仕方なくヤブの尾根を辿る。そして益々口数が減る。
そんな時でも足元には「イワウチワ」や「カタクリ」の花が咲いている。
疲れていても花を踏まないように歩く気持ちだけは残っている。
「足沢山」までの中間あたりから雪面が多くなり、ヤブから解放され、気分を良くする。
 
「太郎助山」から残り三分の二にあたる1084m地点の、少し手前のコブの雪面に黄色いテントを発見した。
今朝はなかった。
きっと今日、上がってきたのだ。
人がいる。やはりゴールデンウイークだ。
 
テントからは夕食の音がする。声を掛け、互いに情報を交換する。
他に二人組が上ってきたが、諦めて下って行ったらしい。
その情報通り、雪面には新しいトレースが付いている。
これは心強い。
自分達の朝付けたトレースは、この気温でどんどん消えてしまい、帰りはほとんど残っていなかったからだ。
トレースを追えば、ルートを考えずに歩くことができる。
 
新しいトレースに沿って夕闇迫る「足沢山」のテントを目指し再び歩く。
一旦、雪面を離れヤブに戻らないとならないところがあった。
気分はまた落ち込む。
それでもなんと西の水平線のかなたに太陽が沈もうとする、その前にテントに戻りたい。
オレンジ色に光る大きな太陽が、日本海に反射しているのが見れる。
そうだ、やはり地図のとおり、西のはるか先は、日本海で間違えではなかった。
日本海に沈む夕日を見たのは、「白山」以来だ。

 

 
夕日に感動しながら「足沢山」に向けヤブを進むと、右の雪面に新しいトレースを見つけ安堵する。
途中2m程のギャップを注意して飛び降りると、今朝、出発したときの山頂直下の雪の小段が見えてきた。
あと少し、あと少しでテントに着く。
テントに着いたら、水をたくさん作って、がぶがぶ飲みたい。
シュラフにくるまって、足を伸ばして寝たい。
 
テントの手前の雪面でトレースが2つに分かれた。
左側は急登で今朝スタートしたルート。右側は緩いトラバースのルート。
その時は疲れもピークに達し、楽な右側のトラバースのルートを選んで進んだ。
危険な気がしなかったので、アイゼンも着けず進んだ。
しかし、これが山田さんには気に入らなかったらしい。
『今朝と同じルートなら、最後にアイゼンを着けずにすんだものを』と。
 
なんとかライトを使わず、18時15分、テントに戻った。
今朝、テントを出発してから約14時間。やっと戻って来られた。
迎えてくれたテントは、30年以上も前に買った「エスパース』。
なんとも頼もしい限りだ。
山田さんの到着を待って、二人で固い握手をする。これで終わった。

 
到着するや否や、山田さんはウイスキーで祝杯をあげる。
自分は疲れて、とてもでないが酒を飲む気にはなれない。
まず水を作り、コーヒー、紅茶とたて続けに腹に流し込む。
落ち着いたところで二人とも夕食にした。
山田さんは賞味期限切れの「五目御飯』。
山田さんは今回の山行で、他にも賞味期限切れの食材「味噌煮込みうどん」と、「フリーズドライの黄粉餅」を持ち込み、全て平らげていった。
「黄粉餅」は、お湯でも柔らかくならないと言って半分分けてくれた。
山田さん曰く、餅ではなく落雁(らくがん)だと。確かに、粉の塊のままだった。
最後に山田さんが出してきたのは、50歳の誕生日、娘さんからもらったと言うケーキの形をしたクッキーだ。
半分に割っておすそ分けしてもらった。
見た目も、そして食べた味も、まさしくケーキだった。
今回、このケーキ、ではなくクッキーを持ってくるのに壊れないようにとわざわざ缶の容器に入れ持ってきていた。嬉しかったんだろうな、きっと。
 
この晩は、シュラフに入っても話は尽きず、遅くまで語り合った。
アドレナリン全開。
興奮がアルコールで抑えきれなかった山田さんは、夜中1時半に目が覚め、一晩中、ラジオ深夜便を聞いていたらしい。
その日のラジオは、懐かしのアニソン特集だったらしい。
  
 

5月5日(金・祝)こどもの日

4時半に起床、朝食をすませテントを撤収する。
今朝も晴れ、風もない良い天気だ。
鳥の声、暖かな空気。雪に反射する日差しは痛いぐらいだ。

 
今日は「水上」まで行き、そこで宿をさがして、あとは温泉を楽しむ計画だ。
問題は電車の時間だ。
「大白川駅」発は、朝は10時。次は16時。
朝10時の列車に乗るには5時に下山を開始しないとならない。
前の晩、山田さんから、「いつもの、手を挙げるか?」と提案があった。
その提案でスケジュールが決まった。
電車の時間を気にせず、朝もゆっくり寝ていられたわけだ。

 

 

 

 
「手を挙げる」とは、ヒッチハイクのこと。
後ろから車が近づいたら大きく手を挙げて車に止まってもらう。
ストレートにヒッチハイクを頼むときもあるが、運転手や車によっては道を聞くなど和んだ後にヒッチハイクさせて切り出ることもある。
今回、初日も国道を歩いている途中でヒッチハイクが出来たので、おそらく今日もできるだろう。
(たまに、車が1台も通らないことがあるが、ここは交通量も多い。)
 
8時、テントを張っていた「足沢山」を出発する。

 
雪の尾根を下り、肩のあたりで振り向く。
そこには、昨日歩いた「太郎助山」への尾根と山頂が見える。
その先には、見えないが「毛猛山」があるはずだ。
もう、ここに来ることはないと思う。
と、言うより、『もう「毛猛山」はこりごりだ。』と言うのが、この時の気持ちだった。

 

 

 
肩からは樹林帯の尾根を進む。
正面には「浅草岳」が白い裾野を広げとても大きく見える。
左側(北面)には「守門山」の山頂がちょこんと見える。

 
山は初日よりもブナの緑が濃くなったように思えた。
そして咲き誇る花々。
足元には「イワウチワ」「山桜」「タムシバ」「アズマシャクナゲ」「ツバキ」
下る途中、その花々と春の山の風景を何枚も撮った。
山田さんも良い場所を見つけると立ち止まって三脚を出していた。

 

 

 

 

 

 

 
1時間ほど下ると、後ろから二人組に追いつかれた。
「足沢山」の肩で振り返った時、山頂にいた登山者がその二人だ。
「未丈ヶ岳」から縦走してきたそうだ。(かなりの距離がある)
 
711mの小ピークを通過して、674mの小ピークで一本取った。
ここまで1時間40分。更に(標高)300mを下る。

 
標高が下がるにつれ緑が濃くなる。
相変わらず「イワウチワ」は満開、「タムシバ」「ツバキ」も沢山咲いている。

 

 
674mの小ピークを過ぎてすぐ、下の方に線路が見えた。
列車が通らないかと思って目を凝らすと、「大白川駅」10時発の列車がちょうど走ってきた。
2両編成のディーゼル車が鉄橋を渡る音が聞こえる。
「撮り鉄」だったら、すごく喜ぶ撮影ポイントだと思う。

 
標高520mのところで主尾根から右(北)斜面に下るポイントがある。
一昨日、目印に赤い紐を立木に括り付けておいた。
目印を見つけるより先に周囲の景色でそのポイントは分かった。
そこを右に折れると東電の鉄塔に出る。
初日と同じように不気味に「ブー、ブー」と唸っている。

 

 
その先、急な尾根を下りきるとJRの線路が見えてきた。
やっと下山が終わった。
線路の脇の小沢に降り、雪解け水で三日ぶりに顔を洗う。気分爽快!

 
鉄橋を渡りスノーシェッドに向かう。
鉄橋の歩道、正式には保守用キャットウォークは、鉄製のネットになっていて、足元から20mぐらい下の沢(末沢川)が見えてスリリングだ。

 

 
スノーシェッドの手前で線路の法面(のりめん)をよじ登る。
その時、山田さんは線路に三脚を立て、鉄橋に向かってシャッターチャンスを狙っていたらしい。
後から聞いた話では、後続の登山者が線路に居座り、なかなかシャッターが切れなくてイライラしたそうだ。
国道に出ると路肩に蕗の薹(フキノトウ)を沢山見つけた。
二人で暫し山菜取りに夢中になる。
「大白川駅」に向かって歩き始めても、蕗の薹探しには余念がない。

 

 
雪が残る山。駆け上がるブナの林。そして「末沢川」の雪解け水の流れ。
快晴の空にホトトギスの鳴き声。
そして何よりも「毛猛山」に登った後の解放感。
東京での仕事も何もかも忘れて、この「只見」の景色に酔いしれた。

 
「末沢発電所」には大きな桜の樹があり、タイミング良く満開だった。
撮り鉄二人が桜と列車をとらえようとカメラを構えていた。
『いいとこ見つけるねぇー』と山田さんが一言。

 

 
国道を歩き始めて30分、袋が蕗の薹で一杯になったところでアレをすることにした。
通りかかった車を止め、気軽に『どこか良い蕎麦屋を知らないか』と聞く。
車に乗っていたのは若いお兄ちゃん。地元ではないから知らないと言う。
それではと『ヒッチハイクさせて』と頼むと、『運転が未熟ですが』と、乗せてくれた。
 
「未熟」とは、免許取りたてで、「運転に慣れていない」という謙虚な言葉だった。
聞けば「十日町」に住んでいる18歳の少年だった。
今年就職したばかりで、お父さんは山田さんより若いようだ。(もちろん自分より若い)
時々、自宅の車で練習を兼ねドライブをするそうだ。
図々しく「小出駅」まで乗せてもらう。

 
いつもの調子で山田さんのマシンガントークが炸裂。
そんな話しにも付き合ってくれた若者。新潟の若者は良い人だった。
ヒッチハイクは計算済みのこと。
更に「小出」まで。これで電車賃も浮いてしまった。
 
小一時間で「小出駅」に到着した。
運転は未熟だと言いながらも駅前まで乗せてくれた若者を手を振って見送った。
時間は13時、まずは腹ごしらえ。
駅前の看板に「大衆食堂 富貴亭」を見つけると迷いもなく暖簾をくぐる。
名物は「岩魚」と「へぎ蕎麦」と書かれている。
早速それを頼みたいところだが、まずはビールで下山祝い。
女将さんが酒の肴に「蕗味噌」を出してくれた。
変わった味だったので聞いてみると「蕗の薹のマヨネーズ和え」だった。
 
更に「岩魚」と「へぎ蕎麦 五合」と、日本酒を注文する。
後から入ってきたお客さん、高齢のお婆さんとその息子。
墓参りの帰りで、遠い親戚であるこの店に寄ったそうだが、話し好きで、『どこに行ってきたのか』から始まり、『そこは知ってる』だの、『昔はどうだった』のと途切れがない。
僕らの「へぎ蕎麦」が来ても話しをやめず、こっちはじっくり味わうこともできなかった。
そのくせ自分達の「へぎ蕎麦」が来ると無言で食べてた。
「なってこった~!」

 

 
自分の右ひざの裏側が、ダニか何かに食われ(刺され)、赤いポチポチが20個ぐらいできてかゆかった。
そうしたら、店の女将さんが、残り少なくなった「ムヒ」をくれた。
更に厨房にいた親父さんが、生の生姜が効くと言って持ってきてくれた。
(その節はありがとうございました。)
 
14時21分発 「水上駅」行きは、連休で帰省客で座席はほぼ埋まっていた。
日本酒と山の疲れで、二人ともすぐに睡魔に襲われる。

 
「土樽駅」の少し手前で目覚め、「清水トンネル」に列車が吸い込まれるのをボーっと見つめていた。
「川端康成」の時代は、もっとレトロだったんだろーなぁー。
長い長いトンネルを抜けると「土合駅」の上りの地上ホームに着く。
ここで10人位の登山者が降りて行った。
「谷川岳」に登るのだろうか。
 
15時46分、やっと「水上駅」に到着した。
さあ、これから宿探し。
その場の流れで、新たな出会いを期待して、今回は宿の予約をしなかった。
と、言うより、下山予定が読めないので、予約ができなかったと言う方が正解である。

 
駅前の「観光案内所」に飛び込んだ山田さんは、「自分達は山帰りで(見ればわかる)、素泊まりで、とにかく安い民宿はないか。」と言って探してもらったそうだ。
案内所のきれいなお姉さんはとても親切で、全てを察して何軒かの宿に電話をしてくれた。
すると1軒、連休にもかかわらず空いてる宿を見つけてくれた。
更に料金を通常より安くできないかと聞いてくれた。
そしてとうとう、自分達にぴったりの民宿との折衝に成功。
更に駅前まで女将さんが迎えに来てくれることまで勝ち取ってくれた。
迎えは30分程掛かると言われ、その間、駅前のキオスクと土産物屋に買い出しに走る。
 
迎えに来てくれたのは、気さくで優しい若女将だった。
車に乗って宿に向かうが、若女将から、『申し訳ないけど』と言って話を切り出してきた。
なんでも宿の周りでカメムシが大量発生して、部屋の中にも入ってくるらしい。
そんなこと、山帰りの二人には何の問題もない。
更にお風呂は温泉ではないので、先に町営の日帰り温泉に行ってはどうかと提案があった。
それは最高だと、谷川温泉「湯テルメ谷川」まで車で送ってもらった。
その上、料金は町民と同じ料金にと受付で話を付けてくれた。

 
さすがに人気の「湯テルメ谷川」は、駐車場が満車状態だと、お風呂も満員状態とのこと。
だが今日は、それほど混んでいなかった。
内湯は小さく、洗い場の数も少なく順番待ち状態だ。
それに引き換え露天風呂は広く、そこに手拭いを置いた。
そよ風を感じながら、少しぬるめの温泉で山の疲れを癒す。
露天風呂から更に階段を下りるとウッドデッキがあり、サマーベッドでくつろぐこともできる。
 
風呂を出て、若女将に迎えに来てもらう。
宿に着くと、普通の民家だった。
看板が無かったら民家と見間違うほど、普通の家だった。
それが、民宿「恋沢山荘」の良さなのだ。

 
通された部屋は6畳和室、真ん中には炬燵。テレビはあるが一度も見なかった。
そしてトイレ、洗面は別。

 
窓の外は草だらけの空き地だ。
その先には「谷川岳」の西尾根、「オジカ沢ノ頭」から、南の枝尾根「爼嵓山稜」、その岩壁の「幕岩」、半分以上雪をまとった「A沢」「B沢」「C沢」などが間近に見られる。
この景色、山屋でなければ分るまい。

 
言われたように部屋にはカメムシが現れた。
そのため、あらかじめ部屋にガムテープが置かれていて、それで捕まえて捨てくれとのことだ。
他の客なら嫌がるだろうが、自分達は笑いのネタになった。
 
部屋に入りザックの整理を終えれば反省会のスタート。
山田さんとは、山に行った回数と同じだけ酒を飲んでいる。
今回も沢山の山の話で夜は耽る。
  
 

5月6日(土)

朝、5時に目が覚める。

 
すでに、山田さんは早速散歩に出かけていた。
山の見える遊歩道のベンチに、浴衣姿で昨夜の残りのウイスキーを飲んでいるのが窓から見える。
戻ってくると、早速大女将と歓談。
部屋の色紙や町のことなど、あれこれ話が盛り上がっている。
色紙には、「岡本太郎さん」のものがあった。この民宿に来たのだろうか?
 
8時の「高崎駅」行きに乗るため宿を出る。
若女将はアルバイトに出て不在。大女将が見送ってくれた。
 
山田さんが言うには、昨夜は孫が来ていたようで、宿の家族が宴会で盛り上がっていたそうだ。
連休に客が少なかったのは、それが理由なのか。
謎は、謎のままで終わったが、またいつか、ここに泊まってみたい、そんな宿だった。

 

 
楽しかった旅もこれで終了。
山田さんとは、「高崎駅」で立ち食いそばを一緒に食べ、八高線へと見送った。
  
 

【編集後記】

山から帰った翌日、山田さんから電話があった。
アドレナリンが抜けなくて、まだハッスル状態が続いていると言う。
念願の「毛猛山」に登れたことが嬉しかったようだ。
それに加えて、二人の珍道中、楽しい旅の思い出がそうさせたのか。
電話は1時間近く続いた。
 
今回も良い旅ができたなぁ。

 ( ^^) _旦~~   

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