奥多摩 尾平山
バリエーションコース
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アクセス・コースタイム
2018年3月31日(土) 晴れ
電車:高砂駅[4:45始発]-(神田・立川駅経由)-小作駅[7:02着](定期+918円)
車 :小作駅[7:05始発]-(小河内ダム経由)-深山荘[8:30着]
徒歩:深山荘[8:35出]-深山橋-青梅街道-
-坪沢橋手前(バス停あり)[8:57着]-
-尾平山[10:11着/10:18出]-[10:30着]-
-廃墟民家[10:37着/10:48出]-下の民家[10:48着]-
-水道入水口[11:30着]-民家・舗装道[11:35着]-
-青梅街道[11:40着]-深山荘[11:47着]
車 :深山荘-ケーブルカー駅跡見学-
-丹波山温泉「めんこい湯」で日帰り入浴-
-(小河内ダム・青梅経由)-山田さん家(反省会)-
電車:小作駅[夜発]-(立川・神田駅経由)-
-高砂駅[夜着](918円+定期)
【はじめに】
3月になり、山田さんの仕事が一段落した。
そこで奥多摩の守屋さんの地図にも載ていない尾根を登ることにした。
5月の連休に新潟の「矢筈岳」に行く計画があり、その打合せも兼ねてだ。
「奥多摩湖」の「小留浦(ことづら)」から「赤指尾根」が伸びているが「留浦ルート」と「小留浦ルート」の2つ。その真ん中の、名も無い尾根を登るのが今回の計画だ。
標高差は500m。それほどきつくはない。
下りは、「ハチコク峠」から南の「井戸沢」沿いの下る。
ここには、廃墟になった民家があり、中を拝見させてもらった。
青春時代に買った雑誌「明星」が残されていて、ここを離れた家族に、この年代の子供がいたことを物語っていて、懐かしくも、寂しくも感じられた。
季節は春。尾根にはトウゴクミツバツツジが咲き、ダム湖の回りの桜は満開だった。
3月31日(土)
「深山荘」の前の駐車場に山田さんの愛車2CVを停める。
天気は晴れ。風もなく、穏やかな日曜日だ。
新緑が始まったばかりの山は、もう冬の冷たい色はしていない。
「深山橋」を渡り、「鴨沢」方面に向かって歩く。
何のためにあるのか、民家も店も何もない「坪沢橋」の手前には、バス停がある。
そこが今回の尾根の取り付き点である。
沢向かって数メートル入ったところで右手の尾根に無理やり上がる。
尾根沿いにはっきりした踏跡がある。
右手(東)には、ダムが松の木越しに見える。
杉林かと思ったが、意外や意外、大きな松やモミの木が多い尾根だった。
他に馬酔木やナラなどの広葉樹。
そして紫色のトウゴクミツバツツジや赤いヤマツツジも多い。
わりと急な路で、汗が噴き出す。
登り始め30分程して、標高約900m付近で尾根が平坦になる。
さらに標高950m付近、左に巻き路があった。
ちょうどその先だった、松の木に真新しい爪痕を発見した。
オヤジの仕業だ。
足跡はないから、昨日今日ではなさそうだ。
見上げると、尾根の先が明るい。
山頂は近そうだ。
10時11分、「尾平山」1074.5mの山頂に到着。
山頂は広いが、眺望はない。
葉を落とした樹々の間から、薄っすらと向かいの尾根が見える程度だ。
山頂では、それほどゆっくりもせず、下りにかかる。
尾根の北側は、落葉松林。
南側は杉林だ。
12分で、「ハチコク峠」に着く。
ここを南、「井戸沢」沿いに下る。
下るとすぐに、廃墟となって一軒の民家が現れる。
山田さんは、この家のことを知っていて、中に「月刊 明星」があるという。
中に入ると、家具や炊事道具も残っている。
まるで、住民が一瞬のうちにいなくなったかのように、生活感ありありだ。
その中に、「月刊 明星」は確かにあった。付録の唄本まであった。
タンスには、子供が貼ったのだろうか、シールが貼ってあった。
この家は、住人がいなくなったその瞬間で、時が停まっている。
なんだか、タイムススリップしたかのような気持ちだ。
庭先には、黄梅が咲き、ウグイスが鳴いていた。
民家を後にして、草付きの斜面を下ると、また民家が1軒あった。
藁葺き屋根をトタンで直した立派な家だ。
これだけ大きな家だから、木材を運び上げるのも、大変だったと思う。
玄関には、大きな看板で「青雲寺 高修寺」と書かれていた。
山田さん曰く、中には祭壇があるらしい。
少々、不気味な気がした。
下り始めると沢に出る。沢に沿って、電柱が現れた。
しかし、電柱からは電線が外され巻き取られている。
撤去の途中なのか。
路は少し崩れ、倒木も多い。
40分程下ると、水道の給水口がある。
下に民家があることを知らせている。
ほどなく、民家が見えてきた。
ここで山田さんがこう言った。
「地図を隠して。お婆さんが出て来たら『道を間違えた』と言え。」と。
なんでも、ここに住んでいるお婆さんはうるさいらしい。
しかし、お婆さんも、誰もいなかった。
拍子抜けして通過する。
舗装道に出る。そこを少し下ると青梅街道に着く。
「深山橋」を渡り、駐車場に戻る。
昼飯も食べなかったので、お腹がすいた。
【編集後記】
下山し、昔、「三頭山」へのアプローチに使われていたロープウェイが残っていると言うので、三頭山側の駅へ見に行った。
「奥多摩湖ロープウェイ」、正式名称は「川野ロープウェイ」と言うそうだ。
ゴンドラや巻上げ機などは、いまだに残っている。
当時は、谷底まで下らずに済んだので、大変、楽だったと思う。
1962年に営業を開始。
オリンピック景気で繁盛したが、道路や橋ができ、1966年に「冬季休業」という名目で休止し、そのまま運行は一時停止、その後、営業を終えたと言う。
帰りに青梅のとうふ屋さん「とうふ工房ゆう」によって、金賞を受賞した「特選絹豆腐」380円を買い、山田さん家に向かった。
そして手料理のパスタと自家製の果実酒を楽しんだ。
もちろん、「矢筈岳」の計画も話し合った。
( ^^) _旦~~