会津 朝日岳

一般コース

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アクセス・コースタイム

2018年7月7日(土)~8日(日) 避難小屋泊
7月6日(金)
電車:JR上野駅[21:46発]-(とき 新潟行き)-JR浦佐駅[23:20着]
    (只見まで8,550円 新幹線特急券込み)
7月7日(土)
電車:JR浦佐駅[6:49発]-(新潟行き)-小出駅[6:58着]
    JR小出駅[7:59発]-(只見行き)-只見駅[9:15着](終点)
タクシー:只見駅[9:30発]-いわなの里[10:00着]
徒歩:いわなの里[11:05出]-三吉ミチギ[12:12着/12:20出]-
   -人見の松[13:25着/13:35出]-叶の高手[13:55着]-
   -熊の平[14:25着]-朝日岳避難小屋[14:35着/14:57出]-
   -小ピーク[15:22着]-朝日岳山頂[15:32着/16:22出]-
   -朝日岳避難小屋[16:58着](泊)
7月8日(日)
徒歩:朝日岳避難小屋[6:50出]-叶の高手[7:35着]-
   -人見の松[8:05着/8:15出]-三吉ミチギ[8:40着/8:50]-
   -いわなの里[10:24着]
ヒッチハイク:いわなの里[11:30着]-深沢温泉 むら湯[12:00着]
    日帰り温泉(500円)
ツアーバス:季の里 湯ら里[13:20発]-会津田島駅[14:30着]
電車:会津田島駅[14:58発 リバティ浅草行き]-北千住駅[18:02着]
    (田島~新藤原1,690円+株主優待券+指定席2,110円)

【はじめに】

いつのことだっただろう、会津朝日岳に置いてきたノートの話を山田さんから聞いたのは。
きっかけは避難小屋に泊まった時のこと。
殺風景、一人寂しいという思いから、せめて小屋にノートがあったらと考え、息子と一緒に登り小屋に置いていったそうだ。ノートを見つけた登山者が自由に書き込んでくれて、次に泊まった人がそれを読んで癒されたらと考えた。
そしてノートには、書き込みが一杯になったら送り返して欲しい。そのお礼に自分の会社で製造している日本酒をお返しすると書き添えておいたそうだ。
そのノートが、今年送り返されて来た。でも、書き込みが一杯になったわけではなく、間違って持ち帰った登山者が、山田さんに送って来たそうだ。
書き込みが一杯ではないのなら、また、山に戻したいと思うのが心情。
そこで、会津朝日岳への山行計画は決まった。
 
そのノートには、もう一つ話がある。このノートを見た、ある登山者が、山田さんが会津朝日岳の避難小屋に置いたこのノートのことを山岳同人誌に載せたのだ。
それが縁で、山田さんをその登山者の付き合いが始まったそうだ。
その登山者は、作家の杉本増生さん。
今回の会津朝日岳の山行は、杉本増生さんも参加する予定だった。
一緒に山に登るのは、私はもちろん、山田さんも初めてだ。
しかし、タイミングが悪いというか、良かったのか、直前に関西地方は洪水にみまわれ街は大被害、予約した夜行バスが運休になってしまった。
それとは関係ないが、僕らが朝日岳に登っている最中、千葉県で地震発生した。
災害の連鎖なのだろうか。不安な夜を過ごす。

 
 

7月6日(金)

出発の日、新越谷での仕事を終え、夜8時ちょうどに帰宅。
急いで夕食を取り、シャワーを浴び、自宅を出る。
この時、東京は土砂降りの雨。駅に着く前にズボンもシャツもびしょ濡れになった。
 
JR上野駅、地下の新幹線のホーム19番線で山田さんが乗ってくる新潟行き「とき351号」を5号車で待つ。すると、どんぴしゃり、山田さんが5号車にいた。
ゴーデンウィーク以来の再開で、乗り込むや否や山談義に盛り上がる。
500ミリの缶酎ハイはあっという間に空いてしまった。
 
23時20分、閑散とした上越の駅「浦佐駅」に着いた
東口に出てコンビニで買い出し。
そして、駅前に立つ新潟の名手「田中角栄」の銅像を観る。
思った以上に大きくてびっくりした。

 
西口に移動し、駅舎の軒下にシュラフを並べる。
山田さんはラジオを出し、日本酒の4合瓶の栓を抜く。
天気は小雨。ラジオの天気予報では、明日は曇りだと言っている。
その言葉に期待し眠りにつく。

  
 

7月7日(土)

今日は七夕。
駅前のロータリーをご老人のグループが草むしりをするカチャカチャという音で目が覚める。
朝5時半。列車の時間まで1時間もある。
待合室で朝飯のおにぎりを食べ時間を潰す。
ホームでからは、ほんの少し残雪を残す「八海山」が見えた。
 
学生さんでいっぱいの列車に乗ると、暫しコシヒカリの田んぼを眺めながら過ごす。
 
「小出駅」で「小出線」の始発を1時間待つ。
駅前には、1年前に寄った「へぎ蕎麦」店があるが、さすがにこの時間は空いてない。
「小出線」はディーゼル車の2両編成。自分達以外に客は3名だった。

 

 
「大白川駅」を通過すると、1年前「毛猛山」に登った時の取り付き点を通過する。
二人して子供のように電車の窓から付き点を探した。
初夏になり緑が色濃くなって、あの時に見た景色とは違って見えた。

 
9時15分、やっと「只見駅」に着いた。
傘をさすほどの雨が降っている。

 
駅には売店と「只見町観光まちづくり協会」の窓口がある。
山田さんは、7年前の大豪雨のことをスタッフと話し始める。
「只見線」は、あの時の大豪雨で「只見駅」から先が今でも不通だ。
予約して置いたタクシーがもう待っててくれたが、酒の買い出しがまだだったので、少し歩いた先のコンビニ行く。小さい店かと思いきや、都内のコンビニ以上にパンやお弁当、そして酒は豊富だった。
 
駅に戻る途中、「只見荘」の女将さんに出会い、山田さんが「覚えてます」と聞くと「山田さんでしょう」と言われ、とても感激した。
「丸山岳」を完登した際、帰りに泊まったそうだ。
「丸山岳」に登るなんて、あれ以来、誰もいないと女将さんは言っていた。
とても懐かしく、ついついタクシーを待たせているのを忘れてしまった。
「只見荘」の女将さんに「いわなの里」から「会津朝日岳」に登ると言うと、「こんな雨の日に?「いわなの里」の若女将は友達だょ」と言って送り出してくれた。
 
タクシーは慣れたハンドルで「いわなの里」まで飛ばしながら、大豪雨の時のことをいろいろ教えてくれた。かなり多くの民家が浸水し、林道も流され大変だったそうだ。
今はすっかり復旧したが、「赤倉沢」は氾濫し、今は苔の生えていない石ばかりになった。
自然は、すぐには元の姿には戻らないよと呟いていた。
 
30分ほどで「いわなの里」に着いた
料金は5000円を超えなかった。
「いわなの里」も大豪雨の被害を受け、店は仮の建物。
現在、大工さんが入って再建中だった。

 
山田さんが大女将に声を掛ける。
大女将はすぐに山田さんと気づき、懐かしい昔話に花が咲く。
山田さんは、大女将が描いた岩魚の絵を買って持っているらしい。家の今に飾ってあった。
大豪雨の時には、岩魚が流されて1000万円の損失だったとか。
早い昼食にしようと岩魚を焼いてもらおうとしたが、時間が掛かるということから、唐揚げを注文する。
このイワナの唐揚げが大正解だった。
塩焼きより、岩魚本来の味が口に広がり、日本酒にはぴったりだった。
大女将から漬物とインゲンの胡麻和えの差入れをもらい、日本酒を開けることになる。
蕎麦も注文し、さらに日本酒が進む。
ベンチに根っ子が生え、なかなか出発できない。
夕飯用にもう1尾ずつ岩魚の唐揚げを作ってもうと、おまけにとキュウリの漬物と天ぷらまでもらった。

 

 

 
11時を過ぎ、やっと重い腰を上げる。
林道の先が登山口で、案内板と登山ポストがある。
道端にはワラビやフキが生えていた。
雨は降っていないが、草には露が付いている。

 
歩き出して5分もしないうちに汗が吹き出す。風もなく蒸し暑い。
「赤倉沢」に沿って路には、丸太の橋が2ヶ所、他に沢を渡るところが4ヶ所ある。
そこまでは割となだらかだったが、沢から離れると徐々に登りになる。

 

 

 

 

 
出発して約1時間、「三吉ミチギ」(880m)に着いた。
この水場で一本取り、吹き出す汗を拭う。
このコースでは、ここが最後の水場だ。空の水筒に2リットルを満たす。

 

 
振り向くと会津の低山が山が疲れを癒やしてくれる。

 
ここからはブナが多い樹林帯の登りになる。
相変わらず風もなく蒸し暑い。

 
それでも山田さんはキノコ探しを忘れていない。
今回、収穫はヒタタケだけ。下山して「いわなの里」で味噌汁にした。
味はチチタケには及ばないが、香りは良かった。

 
徐々に視界が広がるとロープが張られた斜面に着き、そこを登ると枯れたクロベ越しに景色が良くなる。

 
もう少し先に進むと「人見の松」(1280m)に到着する。

 

 
北から東、南面の景色が良い。高曇りではあるが、「浅草岳」も見える。
この景色で辛かった登りを忘れさせてくれる。

 
花も多く、可憐なウラジロヨウラクや白い花のコメツツジ、斜面にはキスゲの黄色い花が華やかに咲いている。イワカガミの花は終わっていた。
鶯の鳴き声に混じって、ヒグラシとカジカガエルの声も鳴り響く。自然豊かな会津の山だ。

 

 
南西に伸びる尾根を進む。露岩が表れる。
2ヶ所にトラロープが張ってある。

 

 

 

 
そこを50mほど登るとまた視界が開ける。

 
まず「丸山岳」が、「会津朝日岳」の「鋸刃」から南東に伸びる尾根に向うに、頭だけが見える。
その先には、南会津から日光方面の山々が見渡せる
その右手には、目指す「会津朝日岳」の山頂が見えた。

 
山頂の右斜面は黒い岩の斜面だ。その左には少しだけ雪が残っている。
6月の山開きの時には、山頂直下の斜面は一面雪だったが、1ヶ月足らずの間にすっかり溶けてしまったようだ。
雪がなければ心配ないと山田さんが言う。
しかし、よく見ると「会津朝日岳」の東の斜面はかなり切り立っている。

 
路はなだらかになり、樹林帯に入ると「叶の高手」に着く。ここは眺望はない。

 

 
下りが始まると、大きな樹が現れる。大クロベだ。
直径126センチはある。

 

 
そのすぐ先には、さらに大きな大クロベの樹がある。こんどは直径170センチ。
大きすぎてアングルに収まらない。
しかし、半分以上は枯れている。

 

 

 
路はどんどん下り、そして平坦になる。
途中でまた視界がひらけ、正面には「朝日岳」、そして右手に「浅草岳」が見えた。

 
手前の尾根は、雪で木が育たない斜面が茶色で縞模様に見える。
おそらく春には、そこが残雪の白い縞模様になるのだろう。

 

 
ブナの倒木を超えるとヌタ場のようなぬかるみに着く。ここが「熊の平」だ。

 

 

 
山頂直下、熊野平のぬかるみを過ぎ、少し登ると緑の中に青い屋根が目に入る。
「朝日岳避難小屋」に着いた。
「いわなの里」から3時間半だった。


 

 
固い鉄の扉を力づくで開けるとカビ臭い空気が鼻をかすめる。
窓が少ないのか、中は真っ暗だ。
小屋の中は、10畳ほどの広さで、真ん中には囲炉裏が、周囲は板の間になっている。

 

 
山田さんは、さっそくザックを下ろし、そして、ノートを取り出す。
無造作に、板の間にそのノートを置いた。
あわてて写真を撮るからと、もう一度ノートを置きなおしてもらう。
意外とあっさりと終わってしまった。
もっと、儀式的かと思ったが、それは自分の勝手なイメージだった。

 
その晩は、この小屋に泊まった。
酔いが回った頃、私も山田さんの「私的ノート」に一言書き添えた。
今思えば、もう少し気が利いたことを書けばよかったと後悔が残る。
 
暑さ凌ぎに大女将からもらったキューリを一緒にもらった自家製の味噌につけて食べる。
そしてここに荷物をデポして、山頂を目指す。

 
ブナと白樺の大木が多い林を抜けると、目の前に山頂直下の斜面が現れる。
標高差は約100m。ほとんどが露岩だ。

 

 
雪が溶けたばかり。そして木々は芽吹いたばかりだ。
ここではイワカガミが咲いていた。
イワイチョウも生えていたが、花はまだだった。
ここにもウラジロヨウラクの可憐な花が見られた。

 

 

 
きつい傾斜を自分は楽しみながら、山田さんは少しビビりながらクリアーすると稜線直下に着く。
稜線に出ると、見たいと思っていたヒメサユリの鮮やかなピンク色の花が咲いていた。
この近県の深山でしか見られないユリだ。

 

 

 
他にはタニウツギの淡いピンクの花が綺麗だ。

 
南の独標にはロープが掛かっている。ここに立つと視界は360度。
残雪を谷間に残す「丸山岳」も正面に見える。
そして山田さんが5年前に歩いた猛烈な藪の尾根が「丸山岳」へと続いている。

 

 

 

 
ロープで下り、稜線を北に少し進むと、三角点のある山頂に到着する。

 

 
15時22分「会津朝日岳」1624.2mの山頂に立った。

 

 

 
方位盤でさっそく山座同定、登ったことのある山を探す。
「毛猛山」は、雲に隠れて見られなかった。
今年、5月の連休に行くはずだった「矢筈岳」は見えなかったが、方向だけは確認した。
西の無名山「高倉山」に続く尾根を眺めながら、二人でこの藪尾根を歩けるか話した。
見た限り岩場が多く、いきなり断崖絶壁で、戻ることもできなくなるが結論だった。
見飽きることのない会津の山々。

 

 
山田さんは、誕生日プレゼントでもらったスキットルでウィスキーを味わっている。
ちなみに中身はこだわりのニッカウヰスキーだそうだ。
次の儀式は、いつもなら葉煙草に煙管(キセル)なのに、今日は葉巻をふかす。
なんでも先日、自宅で煙管を失くしてしまったそうだ。

 

 

 

 

 
避難小屋に戻り、ラジオをつけて天気予報に耳を傾ける。
そして、「いわなの里」で買った岩魚の唐揚げと大女将からもらったお新香と天ぷら。
そして日本酒。
 
ところで、今回、大阪から参加予定だった杉本さんは、出発直前に近畿地方で発生した豪雨で夜行バスが運休になり、かつ、大災害になりそうなときに山に登るのもなんだと、不参加になった。
事情は仕方ないことではあるが、この山行を一緒に味わえなかったのは残念だ。
避難小屋に入り少しすると屋根のトタンを叩く大粒の雨が降り始めた。
この雨は夜中じゅう降り続いた。
 
杉本さんが不参加になった近畿地方の豪雨は、大災害になっていた。
ラジオからは、「生命の危険に関わる」と何度も叫んで、浸水が迫っている方々に避難を呼びかけていた。
 
そして駄目押しのニュースがラジオから流れてきた
千葉県東方で震度5弱の地震が発生したと言う。東京は震度3だと言うから安堵した。
少しして津波の心配はないと放送された。
 
夜中、ビニール袋がカサカサ音がするので眼が覚めると、ウマオイみたいな虫が歩いていた。
そうかと思うと、「ネズミがいる」と、山田さんが夜中飛び起きた。

 
 

7月8日(日)

5時半に起き下山の準備にかかる。
一晩泊まって帰る間際に、ノートを見て山田さんが、「目立たないなー」と言って、表紙に「私的ノート」と書き加えた。
そして一言、「これが全部書き込まれて、送り返してもらえるのは、いつになるんだろう。」
そう、この山はマイナーで、且つ日帰りで登る人がほとんどだから、小屋を使う人は少ない。
今までの書き込みを見ても、インターバルが3ヶ月から半年も掛かっている。
気長に待つしかない。
いや、逆に、楽しみが長く続くということだ。
 
ノートをおきなおし、小屋を出る時、「ノートよ、いつか戻ってきてくれ。」と、思わず呟いた。

 

7時前に避難小屋を後にする。
 
「叶の高手」の登りになる前に、視界が開けたところがある。
そこで振り返ると、「会津朝日岳」と「浅草岳」が、昨日よりずっと鮮明に見られた。
特に「浅草岳」は、朝日を受けてとても綺麗だった。
そして手前の谷は雲海が敷き詰められていた。

 

 

 
「叶の高手」を通過し、露岩の稜線で、昨日、只見荘の女将さんが、20人の団体が登ると言っていた、その団体さん達とすれ違った。
想像通り、自分達より先輩の団体だった。

 
「人見の松」では、最後の景色を楽しむ。
 
蒸し暑い林の下り。2時間弱で「三吉のミチギ」に着いた。
ここで一本。ここで美味しい沢の水を堪能する。
見上げると山葡萄が小さな実を実らせていた。酸っぱくておいしいんだなこれが。
その時、綺麗な鳴き声が聞こえてきた。
オオルリだと山田さんは言う。
沢沿いの路に出ると、日が差し始めた。

 

 
「いわなの里」に着いて、大女将に下山を報告する。

 
すると店のお兄さんが、おそらく大女将からの指示だと思うが、「好きなだけ飲んでくれ。」と、言って一升瓶を持ってきてくれた。

 
下って来る途中、今日の予定は聞かれ、「タクシーで『湯ら里』の日帰り温泉に行って、13時のツアーバスを待つ。」と言うと、「何時にタクシーを呼ぶ」かとまた聞いてきた。
そう、つまり、「いわなの里」に寄ったら、なかなか腰が上がらないのだ。
飲み始めたら長居してしまうのは、想像の必要がないくらいわかりきっていた。
しかし、「好きなだけ飲んで。」と言われたので、断る通りがない。
洗い場から湯呑みを出し、下山祝い。そして岩魚の唐揚げを食べる。

 

 
大女将から素揚げのナスとキャラブキの差し入れ。これでまた酒が進む。
しばらくすると若女将が来た。
自分達と同年代の若女将は、大女将譲りのしゃべり上手で、7年前の豪雨のことや只見荘の女将さんはのことや、山下達郎のコンサートに行くことなど、ずっとしゃべっていた。
豪雨による被害は特にひどく、店はながされ、岩魚のいけすは土砂で埋まってしまったそうだ。
店は大工さんを入れて再建中だが、いつ出来上がるか大工さんしだいだと言う。
のどかな話だ。
 
タクシーを呼ぼうとするも携帯が繋がらない。
それは事前に知っていたが、家の電話も繋がりにくいと若女将が言う。
それでも電話は繋がり予約はできたが、釣りに来ていたご夫婦が、「湯ら里」まで送ってくれることとなり、せっかく予約をしてもらったが、キャンセルした。
 
山開きの話を若女将がしてくれた。
村では毎年記念バッチを作り、完登した人に渡しているらしい。
それを目当てに、山開きの時に登る人もいると言う。
大豪雨のあと、やっと山開きをできるようになった2015年には、山開きの日に800人も来て、準備した記念バッチが足りなかったそうだ。

 
「いわなの里」のお客さん、伊藤さんに送られ「湯ら里」に着くと、併設の日帰り温泉「むら湯」に入る。
ここは鉄分の多い源泉で浴槽は赤錆色をしている。
露天風呂はないが、窓の外は目隠しもなく、景色は最高だ。
風呂上がりは、食堂で蕎麦を食べる。
すると郵便局の旅行で来たと言うスタッフから、漬物と揚げ餅をもらう。人の温もりを感じる。
 
予約しておいた只見町ツアーバスは、バス停が決まっていいない。
窓口で言われた「湯ら里」の前で待つと「朝日タクシー」のタクシーが1台来た。
バスかと思っていたから、少々びっくりした。
 
タクシー、いや只見町ツアーバスに乗ると、どっと眠気が襲い、自分は「会津田島駅」に着くまで爆睡してしまった。
山田さんは、運転手さんと只見談義を楽しんでいた。
 
駅に着くと発車までの30分でお土産を物色し、リバティーの指定席に乗り込む。
指定券が不要な「下今市駅」からの区間は乗ったことがあるが、指定を買って乗車したのはこれが初めてだ。
いつもなら区間急行か準急で、「下今市駅」や「南栗橋駅」で乗換えているが、今日は「北千住駅」まで乗換えなしで行ける。
それと乗車券も節約して東武線は株主優待券を事前に買っておいた。

 
「北千住駅」に着くと、山田さんの希望で銭湯に行った。
駅の東口をまっすぐ東に歩いた「美登利湯」だ。
すごく熱い湯で長湯はできなかった。

 
「北千住」の商店街を歩きながら、今回の旅が楽しかったと、しみじみと話をする。
二人、余韻を噛み締めながら、各々の家路へと別れた。
  
 

【編集後記】

杉本さんとの山行は叶わなかったが、山田さんのノートを無事、避難小屋に戻すことができ良かった。
なにか一つ、仕事をやり遂げたような、そんなほっとした思いと、会津の人達の暖かい気持ちが、心のに残った旅だった。
 
 ( ^^) _旦~~   

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