山行記録 2022年  No.7
5月3日(火)~7(土) テント泊山行

矢筈岳(新潟県) バリエーションコース

アクセス・コースタイム
 
5/3(火)
電車:京成高砂駅[8:05発]-東京駅[8:36着] (山田さんと待ち合わせ)
   -東京駅[9:28発]上越新幹線とき313号 新潟行き-長岡駅[11:10着]-
   -長岡駅[11:40発]信越本線新潟行き しらゆき3号-新津駅[12:17着]-
   -新津駅[12:49発]磐越西線五泉行き-五泉駅[13:05着]
    乗車券5,720円 新幹線自由席券3,740円 特急券380円
    (但し、JR東日本株主優待券(2000円)にて4割り引き)
 
バス:五泉駅から徒歩、本町二丁目バス停[13:28発]ふれあいバス-
    松村駅[13:37着] 200円  スーパーで食料買出し
 
タクシー:ピアレMart 五泉中央店[14:30頃出]-灰場峠[15:00頃着]
      料金4990円
 
徒歩:灰場峠[15:15出]-仏峠[15:40着]-水無平[15:53着]-
   -尾根(焼峰の神様)[16:34着]-木六山[17:20着]-
   -七郎平山直下の水場[18:52着] テント泊
 
5/4(水)
徒歩:七郎平山直下の水場[5:20出]-銀次郎山[6:17着]-
   -銀太郎山[7:27着/7:57出]-五剣谷岳(山頂左)[10:02着]-
   -青里岳[15:20着] テント泊(ベースキャンプ)
 
5/5(木) ★アタック日
徒歩:青里岳[4:30出]-ポイント1054(リッジ)[7:20着]-
   -矢筈岳 山頂[9:17着/10:35出]-ポイント1054(リッジ)[12:00着]-
   -青里岳[15:15着] テント泊(ベースキャンプ)
 
5/6(金)
徒歩:青里岳[5:00出]-五剣谷岳(山頂左)[10:00着/10:15出]-
   -銀太郎山[12:30着/13:17出]-銀次郎山[14:28着/14:25出]-
   -七郎平山直下の水場[15:40着] テント泊
 
5/7(土)
徒歩:七郎平山直下の水場[3:50出]-木六山[5:20着/5:45出]-
   -ポイント591[6:33着]-杉川沿いの道[7:30着]-
   -林道終点[8:25着]-チャレンジランド杉川[8:36着]
    チャレンジランド杉川にてシャワーを使う 530円
 
タクシー:チャレンジランド杉川[9:20頃発]-松村駅[9:30頃着]
      料金4990円
 
バス:松村駅バス停[9:48発]ふれあいバス-本町一丁目バス停[9:58着]
    料金200円
    五泉駅まで少し歩く-五泉駅[10:05着]
    山田さんは五泉駅10:42発で帰郷
 
電車:五泉駅[11:50発]磐越西線 会津若松行き-会津若松駅[14:03着]
 
バス:会津若松駅[14:15発]あかべぇ-飯盛山下バス停[14:20着]
    料金210円
 
徒歩:サザエ堂見学(拝観料400円)
 
バス:飯盛山下バス停[15:16発]ハイカラさん-会津若松駅[15:25着]
   料金210円
 
高速バス:会津若松駅前[16:00発]高速バス夢街道会津16号-
      -王子駅[19:55着]  料金4900円
 
電車:王子駅[20:03発]-高砂駅[20:32着]
    JR157円+京成線262円
 

 
話しは今から8年前、2014年7月に遡る。
休日でも登る人の少ない武蔵五日市は「金比羅尾根」の外れ、標高も631.9メートルしかない「白岩山」のピークで、それも平日の水曜日にばったり会ったのが山田さんだ。
メジャーな山には見向きもしないバリエーション好きという共通点ですっかり意気投合し、以後、奥多摩のバリエーションコースをアプローチまで愛車2CVを使い出掛ける大の山友達になる。

その山田さんと出会って約1年後、2015年5月の連休が終わったころに電話をもらった。
「5月の連休に西会津の毛猛山に行ったが、時間切れで途中敗退したよ。来年、一緒に行かない。
ところでマイナー12名山って知ってる。
その一つで東北に「羽後朝日岳」っていう山があって、梅雨明けに行こうと思って・・・」
 
聞けば知る人も少ないヤブ山。しかも誰でも登れる山ではないと言うところに引かれ二つ返事で応諾。その年(2015年)の8月に計画実行した。
猛烈なヤブ山、体中の筋肉は疲労困ぱいし、蒸し暑さも重なって頭の芯まで疲れ果てたが、3時間掛けてたどり着いた山頂は今までにない感動を受けた。
羽後朝日岳を登れば次は毛猛山となるのは当然。
翌年2016年は雪不足で断念したが、2017年5月、ついに踏破。ベースキャンプから山頂まで7時間、つまりその日は14時間歩きとおした。
 
その半年後、2017年の年末に山田さんから手紙が届いた。
インターネットで毛猛山で検索したら矢筈岳なるヤブ山があり、マイナー12名山の筆頭を飾る山とのこと。その時から、次の5月の連休は矢筈岳と決めていた。
 
しかし、計画はすんなり進まなかった。2018年は天候が安定せず、落雷注意報も出ていることから延期。
2019年も天候不順。そして2020年は新型コロナウイルス感染が拡大し、政府は緊急事態宣言を発令、外出自粛で中止。2021年も同様。
 
そして2022年、外出自粛が解かれ、満を期して計画実行となった。
今回、タイミングが良かった要因は、私の定年退職だ。
再就職はしたが、世間一般の連休の前後に有給消化と、次の会社の入社までのタイムラグとがあり、18日間の休みが確保できたこと。
もう一つは、天候を見ながら出発日を決めることができたことだ。
 
当初は、残雪が豊富な連休早めに出発しようと考えていたが天候不順で、3、4日周期で天候が崩れる。毎日天気予報のサイトをながめてはがっかりする日々を送っていた。
その間、山田さんから代替え案の提案があった。しかし、5月3日以降は3、4日天候が安定しそうだとの天気予報サイトの情報をつかみ、ついに計画は実施へと移された。
 
 
5/3(火) 雨のち晴れ
 
コロナ感染が少しだけ下火になり、外出自粛が解かれた数年ぶりのゴールデンウイーク、待ち合わせの東京駅 新幹線のホームは人で溢れかえっていた。
こんな人混みで待ち合わせができるか心配だったが、意外と簡単に合流できた。
 
旅行客でごった返す新幹線のホームに現れた山田さんのいで立ちがすごい。
過去3回マイナー12名山で着た、汚れが落ちないシャツだ。
しかし本人はいたって平気である。
 
1時間以上前から自由席の列に並んだので、苦もなく自由席には座れた。

 
あっという間に長岡駅に着き、特急に乗り換えるまでに昼飯を物色する。
駅弁はそれほど種類がなく、山田さんは、えんがわ寿司を買った。

 

 
特急を待つ間に「酒」をコンセプトとした特別列車「越乃Shu*Kura」が入線してきた。
車内では利き酒ができるらしい。さすが新潟。

 
新津駅からは磐越西線に乗り換える。
ボックス席が片方が2人用になっているところがおもしろい。
気動車特急のエンジン音が旅の叙情をくすぐる。
米どころ、田んぼの中に造られた線路を特急電車は走る。

五泉駅には13時過ぎに到着した。

 

 
ここから、タクシー代を少しでも浮かせるために、路線バスで市街地のスーパーマーケットに向かう。
そこでは、明日の朝までの弁当や昼飯のパン、ミネラル補給の食材を買い込む。
山田さんは、2日目の夜の分までの弁当を買い込む。
少しぐらい傷んでも、大丈夫らしい。強靭な胃袋だ。
 
スーパーマーケットでタクシーを呼び、いよいよ登山口に向かう。
周辺の山に山菜取りに入るという話し好きの運転手さんは、同じ趣味の山田さんと話があう。
 
チャレンジランド杉川への入口を通過すると、林道哺土原線に入る。
雪は既になくなり、峠まで行けた。
しかし、峠というはっきりした標識はなく、記念碑を通過し、駐車場を過ぎた辺りで降りたが、山の取付きでなったため、また乗せてもら、500メートルぐらい戻る。
戻る分は、運転手さんがサービスしてくれた。感謝。

 

 
取付きには、新潟ナンバーの軽自動車が停まっていた。やはり(登山者が)入っている。
パッキングし直し、スパッツを着け、15時15分、いよいよ山に入った。
ザックの重さはおおよそ20キロ、久しぶりに重い荷が肩に食い込む。
そして心の中は、不安と期待が交錯する。
 
天気は曇り。さっきまで雨だったとみえ道はぬかっていた。

 

 
滑りやすい急登をゆっくりと登ると、さっそくミツバツツジがお出迎えしてくれる。
関東のトウゴクミツバツツジのような花だが、色は薄いピンク色だ。

 
30分弱で灰場峠と書かれた標識を通過する。悪場ではなく灰場、なにか意味がありそうだ。

 
その先、山の斜面をトラバース気味進むと水無平に向かう。
途中で、地元の登山者3人パーティーとすれ違った。五剣谷岳日帰りの帰りだそうだ。
山の状況を聞くと、今年は雪が多かったが溶けるのも早く、いつもより雪は少ない。
ただし、銀太郎山までは夏道がある。(これは、事前調査で知っていた。)
その先、五剣谷岳の山頂直下は激ヤブだと教えてくれた。
 
この話を聞いて、正直がっかりした。
残雪が少なくヤブが多い・・・。この時の気持ちが、しばらく尾を引いた。

 
トラバースから道が下りに変わると、ほどなくしっかりした道に合流した。
そこはチャレンジランド杉川への分岐。左に進めば水無平だ。

 
道に降りてビックした。カタクリの群落。それも満開だった。
紫色の可憐な花が、辺り一面咲き乱れている。
最近は、奥多摩でも栃木県は鹿沼方面でも、シカによる食害で、群落は見られなくなった。

 
そして、その両側には、雪に押しつぶされていた曲がった灌木類が、同じ方向に向かって伸びている。
これから先、この灌木類が激ヤブとして自分達の歩みを遮るかと思うと憂うつになる。

 
少し進むと水無平の真ん中に着く。
これから向かう木六山への尾根が見える。
尾根の向こう、東側には晴れ間が見えている。雨が上がって、好天に向かっているようだ。
カタクリが咲く道は徐々に傾斜が付き、やがてブナの植生に変わる。

 

 
40分ほど登ると尾根に出る。
そこには「焼峰の神様」と標識が掲げてあった。
道の脇には小さな石の祠が祀られていた。
今回は、無事の下山だけでなく、矢筈岳に到達できることも祈った。

 

 

 
尾根伝いの道はゆるい傾斜で、徐々に高度を上げる。
足元には、淡いピンク色のトクワカソウの花も群落で咲いている。
そしてタムシバとムシカリ(オオカメノキ)の白い花、ミツバツツジのピンク、ヤブツバキの朱赤が、不安な気持ちを励ましてくれる。

 

 

 

 

 
やせ尾根の箇所では、谷を挟んだ東側の尾根が見える。尾根にはほとんど雪がない。
残雪が期待できない、気持ちはしぼむばかりだ。

 
 
ポイント658を通過し、所々残雪が見られる。

 
それを過ぎると傾斜は緩み、木六山のピークを望められる。
その左手、東側の尾根には、ほぼ雪は見られなかった。
大丈夫か、これから矢筈岳まで。残雪は、あるのか。
その不安が頭から離れない。

 

 
木六山の山頂直下の残雪を通過すると広い山頂に出た。
17時20分、木六山 825メートの山頂に到着。
山頂は広く、村松町が設置した立派な山名板があり、三等三角点の石標がある。
眺望は良く、五泉市街が見える。
これから向かう銀次郎山と、その東に延びる尾根もが見える。その尾根には、残雪がある。
さらにその奥の尾根は、もっと白い。少しは残雪が期待できそうだ。

 

 

 
計画では、初日に灰場峠から入山したら進めるだけ進んで二日目以降を楽にさせる予定でいた。
但し、ヤマビルが出ると言う水無平は避け、尾根の途中で適当な場所を探しテントを張ることにしていた。
この時期の日の入りは18時半ごろ、それまで尾根を進むことにする。

 
ブナの白い幹がきれいな道を進む。
途中、残雪が現れたり、露岩あったりと変化に富んでいる。
標高700メートルから800メートルの間を登ったり下ったりする。
テントを張れるような場所が見つからないまま陽は傾き、オレンジ色の夕日が山を覆うようになった。
途中で山田さんから、「どうする?」の声が掛かる。
それらしい場所を見つけるも狭くてあきらめる。

 

 

 
山に陽が沈みかけ、空の明るさだけで歩いていると、徐々に傾斜がきつくなった。
残雪が現れ、トレースを探して先を進む。

 
そして水の流れる音が聞こえるようになったと思ったら、急に平坦な場所に出た。
思わず「あっ」と声を出した。
その場所こそ七郎平山の直下の水場だった。
ヘッドランプを使わず歩けるぎりぎりの時間だった。
 
斜面は残雪で埋まている。
そこに青いターフが掛かっていて、ヘッドランプが光っていた。
声を掛けると、「その辺、湿っていませんか」と返事があった。

 
重いザックを降ろし、雪解け水が溜まった箇所を避け、テントを張る。
水場は、すぐ脇。雪解けの冷たい水が疲れた体を癒やしてくれる。

 
テントに入ると、まずは夕飯。
買出しした弁当を広げ、そして明日からの行程について話し合う。
 
山田さんは、当初予定していた五剣谷岳ベースをやめ、青里岳まで進めたいと言う。
それは当然の考えだ。
運よくというか、よく頑張ったというか、今日は七郎平山(直下)まで来た。
だから、明日は青里岳まで行けるかもしれない。
しかし問題は、残雪の量とヤブの度合いだ。
今日、水無平ですれ違った登山者の話しが本当なら、難しいかもしれい。
結論は、「やれるだけやる」となって、20時過ぎにシュラフに潜り込んだ。
 
今回、寝る間際に、山田さんから睡眠を促す秘薬をもらった。
明日の起床時間を考え、半分の量にしたが、これが効いた。
いつも疲れと興奮で、あまり眠れないことが多かったが、今回はぐっすり眠れた。
 
 
 
 
 
5/4(水) 晴れ
 
二日目、プロトレックの目覚ましをセットし忘れた。
でも山田さんの早起きで寝坊せずにすんだ。
朝食は、昨夜のうちに水を入れておいたアルファー米。
山田さんは、スーパーで買ったお弁当を食べた。
二人とも水を3リットル入れ、5時20分にテント場を出発する。

 

 

 

 
七郎平山の北の斜面には、残雪が多い。
でも、ありがたいことに白いトレースがくっきり残っていて、それを辿ると迷うことはなかった。
朝、少し肌寒かったが歩き始めるとちょうど良くなる。
ブナの新緑と茶色く染められた残雪。
東から差し込む朝日が今日の晴天を約束してくれるようだ。

 

 
七郎平山は山頂は踏まず、残雪の西側を巻く
残雪がなくなると夏道が現れる。

 

 
尾根上の道は徐々に標高を上げる。
見上げるその先に、次のピーク銀次郎山と、その左(東)に延びる尾根が見える。
そこには残雪が見えるが、雪は谷筋だけで、尾根の上にはなさそうだ。

 
それにしても、関東の山と違って雪深い山は、灌木類がすべて雪に押し付けられ曲がっている。
そして雪崩の作用で、急な斜面には樹木が生えない。
だから尾根上だけ新緑の緑で彩られ、それ以外は茶色か黒の山様が多い。
残雪の白と、新緑の緑。この配色は、いつ見ても見飽きない。

 

 

 
夏道の足元には、ショウジョウバカマの薄赤い花と、トクワカソウやカタクリの花が多い。
アズマシャクナゲの濃いピンクの花も見られる。
そして、タムシバの白い花は、遠くに見える残雪が残る白いまだらの尾根にとてもマッチしている。
同じ白なのに、タムシバの白の方がきれいだ。

 

 

 
銀次郎山の手前は、草付きの斜面だ。
左右に咲くアズマシャクナゲのピンクの花と赤い蕾が目を楽しませる。
その向こうに残雪がまだたくさん残る栗ヶ岳が見られる。きれいな景色だ。
さらにウグイスの鳴き声が、さらに山歩きを楽しませてくれる。

 

 

 
出発して1時間、銀次郎山 1052メートルの山頂に到着。
山頂には、松村町の名が刻まれた山名板と、鉄製の丸い缶がある。
中にはノートがあった。旅ノートだ。
眺望は良好。汗して歩いてきたので、少し強い風が心地良い。

 

 

 
南には、次のピーク銀太郎山、そして五剣谷岳が見える。
残雪が徐々に多くなってきた。
それにしても、五剣谷岳まで、遠いなあ。

 
銀次郎山からの下りは、尾根に残った残雪歩きで始まる。
残雪がなくなると、また夏道が現れる。

 

 

 
下りきるとまた残雪があり、快適に進む。但し、照り返しが眩しくて、そして暑い。
雪目にならないかと心配になり、ここでサングラスを掛ける。

 

 
次に登りが始まると、道は草付きの斜面になる。
最近まで雪が残っていたのか、枯草の間からショウジョウバカマやカタクリが花を咲かせている。
山頂直下もまた、残雪の上を歩く。

 

 

 

 
7時27分、銀太郎山 1112メートルの山頂に到着。
ここにも町の山名板が立っている。
眺望は、西面を除き良好だ。南には次のピーク五剣谷岳が雪をまとって姿を現わした。
よく見ると、山頂への尾根は、手前でヤブになっている。
昨日すれ違った登山者の話は、このことだ。
しかし、五剣谷岳のピークを踏まなくても、南西に延びる細長い山頂の途中に雪面が延びている。
ここを詰めればヤブにはまらず五剣谷岳まで行けそうだ。

 

 

 
銀太郎山で休んでいると、七郎平山でターフで寝ていた登山者が追い付いてきた。
どこまで行かれるのか尋ねると、ここまでだと。
単独なので、危険なところは控えているらしい。正しいご判断です。

 
さて、夏道はここ銀太郎山まで、この先は残雪かヤブのどちらしかない。
いよいよ矢筈岳の本番が始まる。
気を引き締め、ザックからヤブ用に溶接工用に作られたブタ皮の手袋を使う。
この手袋があれば、いばらのヤブでも漕ぐことができる。
さて、矢筈岳のヤブはどの程度なのだろうか。
 
 
8時少し前、五剣谷岳に向かって出発する。
最初からヤブだ。しかし、思っていたよりヤブが薄いように感じる。
登山靴で踏む曲がった木も、滑らず、跳ね返らず、漕ぐことができる。
体力はいるが、意地悪なヤブではなさそうだ。
 
このヤブで山田さんにアクシデントが襲った。
踏みつけた樹が跳ね返って股間に当たった。股を押さえて痛みをこらえる山田さん。
復帰するのに時間を要したことは想像のとおりだ。
 
ヤブを少し進むと、東面に残雪が見えた。
残雪をできるだけ拾って進むことにする。

 

 
下りが終わると、また残雪にトレースが続いていた。昨日からあったトレースだ。
ただし、主尾根ではなく、尾根の西に下がった斜面にだ。
トレースの主はひとりで、アイゼンは履いていないようだ。
そのトレースのおかげで、今回、とても楽だった。
地図でルートは間違いないが、どこを進めば残雪を辿れるかは、このトレースのおかげだ。
しかし、すべてが残雪ではない。半分ぐらいはヤブに入れば、自分で路を見つけるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
銀太郎山と五剣谷岳の中間あたりから、ずっと残雪が続いた。
そこで二人ともアイゼンを付けることにした。
自分は、サレワのワンタッチ式。山田さんは、一本締めのアイゼンバンド式。
但し、かかとにはワイヤーが付いていて、そのワイヤーをくぐらせてしばりあげるらしい。
ボロボロで、次回までもたないような取り扱い説明書を見ながら山田さんはアイゼンを装着しようとする。
見かねて手伝う。
この後も、ヤブと残雪が交互に現れる。その都度、アイゼンを付けたり外したりする。
逆にそれが装着の練習となり、帰りには「もう習得したよ」と自信げに話していた。

 

 
五剣谷岳の登りは標高差約130メートル、登るにつれ傾斜が増し、体力を奪われる。
それだけではない。喉は乾き、3リットルの水は、既に半分近く減ったような気がする。
そのくらい、日差しが暑かった。
残雪の照り返しもあるからだろう。

 

 

 

 
五剣谷岳の山頂手前、雪の斜面を登りつめていた時、山田さんが「クマだ!」と叫んだ。
焦って見上げると、確かに黒っぽい塊がいる。しかし、動かない。
しばらくすると姿を消した。黒っぽい塊はカモシカだった。

 

 

 

 

 
五剣谷岳の山頂は細長く、南西に100メートルぐらいある。
ピークはヤブだと聞いていたので、スルーする。

 

 
10時、五剣谷岳 1187メートルの山頂の西に到着。
そのまま、山頂の雪原を南西に進むと、緑色のドーム型テントを発見した。
テントは、雪原の上部、落石などの心配がない場所で、スコップで整地した上に張られていた。
トレースはこのテントに繋がっている。
テントに人気はなかった。おそらく、朝一で矢筈岳に向かっのだろう。

 
計画では、2日目、五剣谷岳でテントを張る予定でいたが、明日のアタックを考え前進する。
但し、重いザックを背負ったまま前進すれば、それと同じだけザックを背負って戻らなけらばならない。
しかし、この先、どの程度、ヤブで苦労するかわからない。
登頂に繋がのなら前進あるのみ。青里岳に向かって進むことにした。
 
トレースに導かれ五剣谷岳の細長い山頂を南西に進むと、正面に矢筈岳が姿を現わした。(写真中央)
手前には、五里岳までの長い尾根も見渡せる。
なんと遠い所だろう。しかし、ここまで来た、もうひと頑張りだ!

 

 

 
山頂からの広い尾根下る。心地よい南風に癒やされる。
しかし、日差しは暑い。紫外線を浴び、顔がひりひりする。

 

 
尾根の東側の残雪は雪庇が崩れ、下まで落ちない状態で斜面で留まっている。
その大きな雪のブロックは、所々が崩れているか、またはひび割れている。
残雪が残っていない所は、崩れて谷に落ちてしまったところ、時間が経てば、ここの残雪も谷へと落ちるのが想像できる。
そのきわどい残雪を歩くのが、ヤブ山攻略の極意だ。

 

 
下りきると尾根は小さなアップダウン、残雪とヤブが繰り返しやってくる。

 

 

 

 

 

 
残雪ならアイゼンを付け、ヤブになれば外す。
短いヤブならそのままアイゼンで歩くこともある。
記録写真には、この時のアイゼンの装着が何度も残っている。
長いヤブ歩き。時間だけが過ぎていく。

 

 

 

 
喉が渇く。毛猛山の経験から、今回水を3リットル担いでいる。
重たいが、水が足りない苦しさを思うと、背に腹は代えられない。
 
残雪に降りる時もヤブに戻るときも、隙間に落ちないよう注意がいる。
さらに残雪から、ヤブの尾根に戻るため斜面数メートルを登るのにも体力を使う。
でも、それ以上にヤブの尾根を進むことの方が何倍も体力を使う。
過酷な山登りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
残雪とヤブ尾根を格闘すること約5時間、やっと青里岳の最後の登りになった。
ここを登りきれば、今日の契約は達成できる。
 
広い尾根は、全体が雪で覆われている。
陽が少し西に傾き始めた。

 

 

 

 

 
15時20分、青里岳 1215.5メートルの山頂に到着。
正面には、待ちに待った矢筈岳が、東西の尾根は鷹が翼を広げたように見える。
 
疲れた体に鞭打って、テントを張る場所の整地に掛かる。
このために今回スコップを担いできた。
高級な物ではないが、残雪の腐った雪ならこれで間に合う。
二人で交代しながら水平にしたつもりだったが、いざ中に入ってみたら、傾斜していた。

 

 
(翌朝撮ったテントの写真)

 
時間が早かったので、汗でぐっしょりになったシャツスパッツを干す。
風があったから早く乾いた。
 
テントに入るとまずは水作り。
この作業でボンベのガスはかなり消費した。
この夜も、眠りに効く薬で、明日への鋭気を取り戻した。
 
 
 
 
 
3日目
 
5/5(木) 晴れ ★アタック日
 
今日は、いよいよ矢筈岳にアタックだ。
日の出とともに出発するため、3時に起きた。

 

 
水と食料の他、万一に備えビバーク用ツエルトをパッキングして、4時30分、テントを出発する。

 
まずは山頂から南東に延びるヤブ尾根を300メートルほど進む。
朝一番から背丈ほどのヤブ漕ぎだ。
途中で、朝日が飯豊山方向から顔を出した。

 

 

 

 
尾根の途中で南の斜面へ下る。そこもヤブだ。
ヤブを下るということは、帰りはヤブを登るということ。
それを考えると、あまり嬉しくない。
 
少し予定のルートを右に行き過ぎたが、結果は上部に残ろ残雪に行き当たりラッキーだった。
見つけた雪の斜面は、尾根まで続いているように見える。
アイゼンとピッケルを装備して慎重に下る。

 

 

 

 

 

 
朝のすがすがしい空気が格別だ。
正面には、待ちに待った矢筈岳。
予定以上に進んでいる。
おそらく、今日中に登頂できるだろうと思うと、ほほが緩む。
自分達の気持ちを察してか、ウグイスが鳴いている。

 

 
斜面が終わり、しばらくは残雪の尾根を歩く。

 

 
出発して2時間、標高1000メートルの小ピークを超える。
その先、尾根が狭くなると、尾根の東側の残雪を拾うように歩く。

 

 

 
そして、ポイント1054の北面は急な斜面となり、アイゼンとピッケルで慎重に登る。
全体的に雪が腐っているが、北斜面だったからか、時々、固い雪があって冷っとする。

 

 

 

 

 
急な斜面の次は、雪のリッジになる。
左右が斜めに切れて、その山になった所を歩く。
バランスさえ崩さなければ、何の心配も無いが・・・。

 
そのリッジを登っている最中に、矢筈岳が見え始める。

 
リッジを超えると、尾根は広くなり、快適な雪原歩きができる。
そして矢筈岳が、もう目の前に迫ってくる。
 
標高1150メートルの肩までは残雪があるが、尾根が東に向きを変えたところから先は残雪がない。
他の人の山行記録でも、山頂直下はヤブだと書いてあった。そのとおりだ。

 
7時半ごろ、標高1150メートルの肩に到着した。
最後の残雪は急斜面なので、慎重に歩いた。

 
斜面の残雪をぎりぎりまで進んだところから、ヤブ尾根に乗り移った。
この時、時刻は8時30分だった。
このヤブは、トップを山田さんに譲る。

 

 

 

 
ヤブは激ではない。距離にして500メートルぐらい、最後のヤブだ。
このヤブを超えれば、念願の矢筈岳だ。
そう二人で確かめあいながら、一歩ずつ、一漕ぎずつ近付いていった。
 
中間あたりに小さなコブがあり、そこが目安に、「半分来た!」と叫ぶ。
その後は、沈黙のままヤブを漕ぐ。

 

 
そしてついに、その瞬間は訪れた。
先頭を行く山田さんが「あっ、看板」と呟く。
 
やっと、やっとたどり着いた。
9時17分30秒 矢筈岳 1257.4メートルの山頂に到着。

 

 
二人顔を見合わせ固い握手を交わす。
その握手はなかなか離れることがなかった。
 
ここに至るまで、行程も長かったが、実行に移すまでも長かった。
その時間は、すべて、この瞬間のためだった。
狭い山頂には、今までと同じ町だ設置した山名板と二等三角点の石標がある。

 
山頂では、山座同定を楽しむ。
以前登った毛猛山を始め、福島県の山々から上越の山々が次々確認できた。




 
振り向けば、今朝、出発した青里岳から五剣谷岳の山頂も望める。
「あんな先から歩いてきたんだ」と、感慨にふけると同時に、あそこまで戻るんだと考えてしまう。
しかし、矢筈岳に登る前と登っ後では、その気持ちは雲泥の差だ。





 
青里岳の西には栗ヶ岳があり、さらにその先には、新津市街、さらにその先には日本海と佐渡ヶ島望める。
北西のはるか先には、やはり雪をまとった飯豊山魂が望める。いつか、行ってみたい。




 
山田さんは、いつもの儀式、日本酒で祝杯をあげる。
自分もご相伴にあずかる。
そして山田さんの次の儀式は煙管だ。
自分は、やぶ忠の豆板。気に入った山頂では、これを食べることにしている。

 
最後に、山田さんが三脚を出し記念撮影を撮る。
もう二度と、ここには来ないだろう。

 
1時間以上も山頂で景色を楽しんだ。
いつまでいても見飽きない景色に区切りをつけ10時35分に山頂を辞す。

 
肩までの下り、ヤブ漕ぎでも気分は軽やかだ。
ヤブ漕ぎの時間は登りのときと変わりがないのに、気分はこんなにも違うとは、不思議なものだ。
 
登るときには気にしなかったタムシバやシャクナゲ、ショウジョウバカマやマンサクの花が目に入る。

 

 

 
矢筈岳の肩からは、ふり返りふり返りしながら広い雪原を歩く。
「よく登ったなぁ」と何度も呟く山田さん。
その顔はずっと緩んだままだ。

 

 
リッジを過ぎ、急傾斜の雪面は登りのときより雪が腐っている。
それだけ日射が強く、登りに自分達が付けたトレースさえ、薄くなっている。

 

 

 

 
日射だけででなく、残雪からの照り返しもボディブローのように体力を消耗させている。
さっきから気分が悪くなってきた。熱中症だと思うが、口の中も嫌な味がしてきた。
今回、体力回復用にと「アミノバイタル」をもってきた。歩きながら時々口に入れた。
その効き目か足がつることもなく、ここまで来れた。
だが、炎天下に近い暑さに、さすがに体も悲鳴を上げ始めた。
アミノバイタル以外に、もう一つとっておきなものを持ってきた。
それは山田さんのアドバイスで買った「バーム」だ。
ススメバチのエキスが入っているという「バーム」は、2018年、最初に矢筈岳に登ろうとした年に買ったもの。実は賞味期限切れになっていた。
しかし、800円近くもした代物のだから、今回ここで使うことにした。
その甲斐あってか、再び登行意欲が復活した。
 
急斜面を下ってからは、尾根の東面の残雪を歩く。
時々崩れそうな箇所があり、慎重にルートを選ぶ。
 
標高1000メールの小ピークに着いたのは13時。
ここで木陰を探し昼食にする。
熱中症気味の体調を回復しなければと、無理やり胃に流し込む。
 
さらに残雪を選んで尾根を進み、青里岳の南斜面も残雪の一番高いところまで、なんとかたどり着く。
残りは、山頂南東に延びるヤブ尾根だけだ。
アイゼンを外し、再びヤブ漕ぎ体制に入る。
ヤブ好きの山田さんが、ここはトップを変わるよと、突入した。
 
しかし、どうだろう。朝、下りときと違って、西寄りにコースをとったからが、そこには根曲がりの灌木ではなく、緑の濃い葉っぱのヤブツバキばかりで、難なくヤブ漕ぎが出来た。
これだったら楽に行ける。木に掴まっては引っ張り体を持ち上げる。
尾根の直前は、さすがに灌木のヤブになったが、想像したより楽に進めて助かった。

 
そして1時間足らずで、テントに帰ってきた。
ここでも二人、固い握手を交わす。
そして、二人で眺める矢筈岳は、朝と変わらず、大きな羽を広げ、午後の日差しに輝いていた。

 
その晩、山田さんは、登頂記念だと言ってアルファー米の赤飯を夕飯に選んだ。
そして、水の次に大切に担いできたウイスキーで、祝杯をあげる。
カップに雪を浮かべ、嬉しそうに飲む山田さんは、本当に幸せそうだ。
 
寝る前に、明日の日程を確認し、休暇も十部あるので、七郎平山の水場までとした。
ヤブ漕ぎも、銀太郎山までだ。

 
 
 
 
 
4日目
 
5/6(金) 晴れ
 
今日は、七郎平山のテント場までの予定だ。
ほぼ中間地点の銀太郎山まで行けば、あとは夏道、楽勝だ。
 
気持ちは晴れやか、二人の体調も回復し、笑いが絶えない。
しかし、その気分を少し落ち込ませる事件が起こった。
山田さんの煙管がなくなってしまった。
朝一で矢筈岳にお別れの煙管をふかした後らしい。
三角点付近のヤブを探すも見つからず、あきらめて出発することにする。
 
さらにこの後、五剣谷岳の手間で、山田さんは、またしてロストしてしまう。
今度はウレタンマット。
ザックにナイロンベルトで括り付けていたが、ヤブ漕ぎの途中で、失くしてしまったようだ。
 
朝日が上がるのを青里岳で見届ける。
矢筈岳の背景が、薄いオレンジ色になった。

 

 

 
5時ちょうど、矢筈岳に別れを告げ、下山を開始する。
鳥もまだ目覚めていないようで、山はとても静かだ。
「ザク、ザク」、アイゼンで踏む雪の音しかしない。

 

 
振り返ると、青里岳、北面の雪原は朝日で輝いていた。

 
尾根の東側寄りを下ってしまったので、斜面をトラバース気味に歩かなけれならなかった。
その時の山田さんは、ピッケルをしっかり握り、慎重に歩くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 
1時間もすると最低鞍部に到達する。この先はヤブの尾根になる。
観念して、ヤブ漕ぎモードに切り替える。
その先、五剣谷岳の山頂までは、尾根の東西を残雪を拾いながら進むが、半分ほどがヤブだったように記憶している。

 

 
五剣谷岳の登りに掛かった時だ、アイゼン装着のためザックを降ろした山田さんが「マットがな~い」と一言。
いつもの奥多摩だったら戻るところだが、この時は戻るなど、とてもその気にはなれなった。

 

 

 

 

 

 
五剣谷岳の水平な山頂に着くと、熊の足跡を発見した。
くっきりとした足跡だから、歩いて間もないようだ。
一瞬、緊張が走る。
付近にまだいないかと様子を伺うも、獣の気配はなかった。

 
水平な山頂を進み、2日前に確認したテントが張られた箇所を通過した。
もちろんは、テントはもうなかった。

 
五剣谷岳の山頂は行かず、手前で広い雪原を下る。
雪の雪原を、ピッケル片手にアイゼンで歩くのは気持ちが良い。
今日も天気は晴れ。

 

 

 
昨日のような熱中症にならないよう、こまめに水を飲む。
今日、水を飲み切っても、テント場に付けば水場がある。
量を気にせず飲めるのは安心だ。
 
残雪とヤブ、交互に現れ、その都度、アイゼンを付けたり外したりする。

 
太陽の日差しを遮る雲など何一つない快晴の空。
そこから発射される日差しに照らされ、今日もまた、汗でシャツを濡らす。
今日で4日目、一度も着替えていない山シャツは白い染みだらけ、ひどい状態になっていた。
 
12時を過ぎ、銀太郎山までの最後の登り、最後のヤブ漕ぎを噛みしめながら進む。
そして、銀太郎山の山頂が見えた。
 
12時30分、ついに、ヤブを抜け銀太郎山に着いた。
これでもうヤブ漕ぎをしなくてもいい。振り向いて山田さんと固い握手を交わす。
「やっとよう、ついにやったよう。」「長かったね、ここまで。」
確か、そんな言葉を掛けたと思う。
なぜだか矢筈岳の山頂に到着したとき以上に感情が高ぶっていた。
 
山頂には、年配の男性登山者がいた。
話しかけると、「私も以前登ってきました」と、いろいろとこの山魂話をしてくれた。
4月中旬、桜の開花が早まったように、最近は雪解けが早く、矢筈岳の登山時期も早まってきたと教えてくれた。
ちなみにその方は、先週、五剣谷岳に登った際、ストックをロストされ、今回それを探すために来たそうだ。
どこかで泊まる気らしいが、地下足袋に林業で使うザックの軽装だった。
流石、地元の登山者。自分達が登山靴で四苦八苦している雪の斜面を地下足袋で歩くなんて。
東京もんにはまねできない。
 
銀太郎山では、昼飯も兼ねてゆっくり1時間休んだ。
残り七郎平山まで3時間は掛からないだろうと思うと気が楽だ。それも夏道でだ。
 
銀太郎山と銀次郎山の、ちょうど中間付近で、石のオブジェを見つけた。
他の人の記録では木組みの屋根が掛けてあったが、今は屋根がなく、オブジェも半分以上土に埋まっていた。

 

 
午後の昼下がり、尾根にはタムシバとシャクナゲが満開だ。
山田さんは三脚を出し写真を撮る。
ゆっくり景色を楽しみながら歩く。
銀次郎山までは1時間、七郎平山までも1時間程度で下る。

 

 

 

 

 

 

 

 
銀次郎山も通過し、七郎平山は山頂の西側の残雪までたどり着く。
しかし、トレースが消えていて、ルートを探すのに少し手間取った。
このころから緊張がなくなり、少し慎重さに欠けていた。

 

 
15時40分、七郎平山の北面のテント場に到着。
いの一番い水場に行き、思う存分水を飲んだのは言うまでもない。

 
テント場は、1日目に泊まった時より雪解けが進んでいるのか、地面が濡れている。
100均の銀マットを改造して作ったグランドシートを敷いてからテントを張る。
 
ザックをテントに持込んでから、山田さんが叫んだ。
「ウイスキーが漏れている!」
プラティパに穴が開いて、ザックにすべて飲まれてしまったようだ。
「それだったら、昨夜のうちに飲み切ったのに」と、思ったのは山田さんでなくても同じ気持ちだ。
舐めるほどとなった最後のウイスキーを飲み干し夜はふけた。
 
 
 
 
 
5日目
 
5/7(土) 晴れ
 
下山最終日、今朝も早立ち、3時50分に出発する。

 
標高が下がってからは、ミツバツツジが多くなった。
ピンクの色が薄い花もあれば、鮮やかな濃いピンクもあり飽きさせない。

 
途中、朝日を拝む。
朝の清々しさの中、木六山への尾根を歩く。

 

 

 

 

 

 
木六山には1時間半ほどで着いた。
静かな山頂。ウグイスの鳴き声が心地良い。

 
今日は朝食を食べずに出発したので、ここ木六山で食べることにした。
しかし、水で戻したアルファ米は、やはり美味しくない。
カロリーを採るためだけに食事している感じがする。
でも、それも今日で終わり。下山したら、少しは旨いものを食べたい。
 
木六山からは、今まで歩いてきた尾根が見渡せる。
目を凝らすと、七郎平山の右、遥か遠くに青里岳が見える。
あそこまで、あの先までよく歩いたものだとつくづく思った。

 
木六山から先、登りと同じ灰場峠経由でチャレンジランド杉川へ行く予定だったが、集中力が途切れたのか、西側の杉川に向かう道に入ってしまった。
少し下ったところで気付いて、どうしようかと話し合って、そのまま進むことにした。
結果、時間短縮と露岩やロープが掛かったおもしろいコースを辿ることができた。

 
国土地理院の地図に記載の破線(登山道)と、実際の道は少し違っている。
地図を見ながら歩いていれば、その違いは、すぐに分かる。
ポイント591を通過し次の小ピークは、地図では巻道になっているが、実際の道は小ピークのてっぺんで北に曲がる。

 

 

 

 
下りは急で、ロープがいたるところに設置されていた。
ロープを使わずとも下れるが、長い山行で付かれているので、安全優先で使った。

 
トラバースする道も、地図とは違っていた。
その途中には、小さな沢を超えるところがあり、ロープが掛かっていた。

 

 
トラバース後は、また西に向かった尾根に乗って下る。
急傾斜で、高度をどんどん落とす。

 
 
木六山から2時間弱で杉川沿いの水平道に着いた。

 

 
水平道を少し進むと東北電力の取水見張所の建物がある。
脇に道があり、杉川に掛かる吊橋に続いてる。
下ってみると吊橋の踏板は朽ち果てて、入口には「立入禁止」に札が掛かっていた。
 
登り返しの時に気付いたが、この周辺はヤマビルがいる。
急いで水平道に戻り、先を急ぐ。

 

 

 
途中、カタクリの群落を通過する。ただし花は終わりかけていた。
 
水平道を1時間弱歩いたところで沢を渡る。丸パイプの橋が架かっている。
その先をほんの少し登り返すと、林道の終点に出る。
ここが、水無平への登山口だ。
「熊に注意」の他、「ヤマビルが出ます」の看板。そして登山ポストがある。

 

 

 
林道を10分ほど進むと、正面にログハウス風建物が見えてくる。
そこがチャレンジランド杉川だ。
 
8時35分、チャレンジランド杉川に到着。山は、ここで終わった。

 
チャレンジランド杉川では、管理人さんに無理をお願いして、シャワーを使わせてもらった。
料金はテント泊の料金、530円だった。
風呂の湯は、清掃のため、昨夜、抜いてしまったと、すまなそうに話す管理人さんに感謝。
 
ロビーのピンク電話でタクシーを呼ぶと20分で着くという。
急いで体を洗い、5日ぶりで汚れた山ズボンとシャツを着替える。
 
タクシーで松村の市内に向かう。
タクシー代を安く済ませるために、市内から五泉駅までふれあいバスを使った。
 
山田さんは、越後湯沢で温泉に浸かりたいというので、五泉駅でお別れだ。
先に新津行きが来たので、ホームで山田さんを見送る。

 

 
磐越西線11時50分発の会津若松行きに乗り込む
途中、車窓から真っ白な飯豊山が見えた。今度、登りたい。

 
会津若松に着いて、市内観光循環バス「あかべぇ-」に乗り「さざえ堂」に向かう。
 
観光客に混じって大きなザックを背負い訪れた「さざえ堂」は不思議な建物で、一度見たいと思っていたが、その願いが叶ってよかった。

 

 

 
 
【編集後記】
 
山から帰って数日後、山田さんから雑誌のコピーが送られてきた。
それは「岳人」2002年 No.658号「マイナー12名山」の特集記事だった。
著名な岳人と編集部員によって、日本全国、これはと言うマイナーな山を挙げ、選定基準に見合う山を討議している記事だ。
しかし、その記事に書かれている山行談がすごかった。
残雪期に登ってなんて安易な登り方ではない。すべて、ガチにヤブを歩いて、「この山が良い、あの山が良い」と討議されていた。自分達のレベルとは雲泥の差だ。
 
ちなみに、マイナー12名山の選定基準は以下のとおりだ。
1.道がなく、登頂するのが困難なこと。
  (体力があっても、登山技術や経験、地図などがなくては登頂して下山するのは極めて難しい)
2.山容風格とも名山とよばれておかしくないものであること。
3.山群の主峰もしくはそれに準ずるものであること(が望ましい)。
  (一つの山群からは基本的に一つとする)
 
 ( ^^) _旦~~  
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