山行記録 2022年  No.12
10月8日(土)~10(月・祝) ツエルト2泊山行

平ヶ岳 一般コース

アクセス・コースタイム
 
10/8(土)
電車:京成高砂駅[4:45発]-会津高原尾瀬口駅[8:53着]-
    京成線189円+株主優待券700円
    +野岩鉄道2800円(※尾瀬片道割引きっぷ・鉄道とバス代含む)
 
バス:会津高原尾瀬口駅[9:40発]-尾瀬御池[11:20着]
    会津バス(※)
 
徒歩:御池[11:30出]-上田代[12:05着(昼食)12:20出]-
   -天神田代[12:58着]-裏燧橋[13:10着]-
   -兎田代上分岐[13:43着]-兎田代下分岐・三条ノ滝の分岐[13:50着]-
   -渋沢[14:44着]-高石沢[15:51着(徒渉)16:08出]-
   -小沢平・国道352号[16:24着]-金泉橋[16:51着]-
   -平ヶ岳登山口[17:15着]-鷹ノ巣高原キャンプ場[17:25着]
 
10/9(日)
徒歩:鷹ノ巣高原キャンプ場[4:00出]-平ヶ岳登山口[4:13着]-
   -ロープ箇所始まる[5:12着]-赤土の崖[5:30着]-
   -コブ[5:37着]-下台倉山[6:00着]-
   -木道始まる[6:44着]-台倉山[6:47着]-
   -台倉清水(水場)[6:58着]-白沢清水[7:34着]-
   -急登始まる[8:13着]-1950mの小段[8:33着]-
   -木道[8:51着]-池ノ岳[8:52着/8:56出]-
   -分岐[9:03着]-平ヶ岳山頂[9:21着/9:40出]-
   -分岐[9:58着]-玉子石[10:24着/10:29出]-
   -池ノ岳[10:50着/11:00出]-白沢清水[11:47着]-
   -台倉清水[12:19着]-台倉山[12:34着]-
   -下台倉山[13:23着]-平ヶ岳登山口[14:46着]-
   -鷹ノ巣高原キャンプ場[14:59着]
 
10/10(月・祝)
徒歩:鷹ノ巣キャンプ場[7:30出]-星の店[8:05着(休憩)9:30出]-
   -尾瀬口船着場[9:54着]
 
遊覧船:尾瀬口船着場[10:15発]-奥只見[10:55着]
    奥只見観光1500円(平日事前予約済み)
 
バス:奥只見ダム[11:35発]-浦佐駅東口[12:55着]
    南越後観光バス1500円(平日事前予約済み)
 
電車:浦佐駅[13:18発]-越後湯沢駅[13:51着(日帰り入浴)15:08発]-
    -水上駅[15:48着/15:53発]-高崎駅[16:56着/16:59発]-
    -赤羽駅[18:37着/18:40発]-日暮里駅[18:53着/18:58発]-
    -京成高砂駅[19:11着]
    JR線3410円+京成線262円
 

 
今回登った平ヶ岳は、当初8月に登る計画をしていた。
しかし、今年(2022年)のお盆は、北陸側が天候不順で、あきらめて奥秩父に変更した。
平ヶ岳は、途中、テント場もなく、登山口から、基本的には日帰りで戻らなければならい。
しかし、その登山口には、電車とバスを乗り継ぐと1日弱かかるので、休みが3日必要な山だ。
 
10月、そのチャンスがやってきた。
シルバーウイークに3日間休みが取れたので、計画を実行に移した。
 
登山口に行くには、尾瀬の東の玄関口、御池からキャンプ場まで予約制のバスが出ている。
しかし、今回は、そのバスを使わず、湿原が広がる裏燧林道を歩き、三条ノ滝の手前から北に向かう路を抜け、小沢平から国道をキャンプ場まで歩く計画を立てた。
ただし、三条ノ滝分岐から先は、歩く人も少ないらしいので、少し不安がある。
 
さらに、この計画を楽しくさせたのは、只見湖を遊覧船で対岸に渡り、新潟県側から帰る旅も加えたことだ。
その狙いは正解だった。
只見湖を船の上から平ヶ岳や会津駒ヶ岳を眺められるなんて思ってもみなかった。
残念だったのは、荒沢岳や越後駒ヶ岳がガスに隠れて見えなかったこと。
しかし、浦佐駅から鈍行で帰える途中、越後湯沢駅での待ち時間を日帰り温泉『ぽんゆ館』の酒風呂で汗を流せたのは一興だった。
 
平ヶ岳は言わずと知れた日本百名山のひとつだが、登山口から遠い山としても知られている。
今回、自分はこの山をなめていた。
今年、五月の連休に矢筈岳への長いアプローチを歩いているので、「平ヶ岳くらい」と思っていた。
通常、縦走で尾根を歩いても10キロから13キロ程度だが、今回は20キロを超え23.8キロ、11時間も掛かった。
 
『長かった』これが感想。
でも、お盆の暑い盛りでなくて正解だったかもしれない。

 
1日目(曇り、時々小雨)
 
地元の駅から乗りなれた始発電車に乗り込む。
いつもと違うのは、土曜日だということ。通勤客が多い。
 
少しどんよりした空模様。日光の山々は、今日は雲に隠れている。

 
途中、新藤原駅で期間限定の「尾瀬片道割引きっぷ」を購入する。
野岩鉄道と沼山峠までのバスがセットになったきっぷで、通常より500円ぐらい安い。

 
山王トンネルを抜けると、1年ぶりの会津高原尾瀬駅に着く。
今朝まで雨が降っていたようで、道路がぬれている。

 
バスの発車までまだ45分もあるので、バス停にザックを置いて、駅向こうににある「そば屋」を見に行く。
カーテンが見える。
朝早いからと思ったら、入口に「しばらくの間お休みします」と書かれていた。
昨年、ここで食事したときに、切り盛りしていた80歳を超えたお母さん、サービスでコーヒー、おしんこ、畑で採れたミニトマトなど、あれこれと出してくたことが忘れられない。

 

 
バスは、ほぼ満席で出発した。
 
御池まで行くのは、実に25年以上も前のこと。少し懐かしい。
 
途中、井桁とうふ店を通過する。
その左手には、小さいながらも険しい佐倉山が見える。
バスからでは、樹木で特徴ある岩場は見られない。

 

 
バスは時々ワイパーを動かし、黄金色に色付いた田んぼを横に走っていく。
 
会津駒ケ岳登山口で、乗客の3分の1が降りた。
この辺りから徐々に山は黄色味を帯びてくる。

 
そしえ、昔懐かしいキリンテのスキー場を通り過ぎ、ほどなく御池に到着する。

 
バスを降りると風もあり寒かった。
雨は降ってはいないが、ガスで山も見られない。
 
道の駅に立ち寄り、情報収集をすると、一昨日は燧には雪が降ったそうだ。
そして、問題の三条ノ滝から渋沢(しぼさわ)を超えて小沢平(こぞうだいら)に行くコースについて聞いてみた。
すると、数日前にガイドが通過したとのこと。ただし、橋が流され徒渉したらしい。
徒渉は膝上ぐらいだったとか。それを聞いて一安心する。

 
11時30分、御池を出発する。
広い駐車場の奥に裏燧林道の入口がある。
入口には、入山者数を調べるカウンターが設置されている。
コロナ禍になって、以前より入山者は減ったのだろうか。

 

 
シラビソや山毛欅が茂る森の中に木道が続き、徐々に登りになる。
濡れた木道はスリップしやすい。まして落葉付いた木道はなおさらだ。

 
最初は姫田代。
草紅葉が黄色く、楓やナナカマドは真っ赤に色付き、秋の始まりを教えてくれる。
雨でも登山者は多い。

 
30分ほどで上田代に着く。
ガスにけむり、燧ヶ岳をふくめ山はまったく見られない。

 

 

 
次の西田代、天神田代を通過し、裏燧橋を渡る。
鉄骨のしっかりとした吊橋だ。この先は、徐々に下りになる。
 
木道は滑りやすいと頭では分かっているつもりでも、この時、一瞬のスキに転倒する。
尻餅をついて尾てい骨を打つ。これが後々まで痛みを伴い、夜寝る際も、横向きでしか寝れなかった。

 

 
兎田代上分岐の次、兎田代下分岐まで、登山口から2時間10分掛かった。
ここまでにすれ違った登山者は20人ぐらいだろうか。
この先、小沢平までのコースは、路は広く、笹も切り払われ、はっきりしているものの、明らかに歩いている人は少なそうだ。
ホウノキの落葉が残っていて、歩くと「ガサ・ガサ」と大きな音を立てる。
もちろんすれ違う登山者はいない。
たった一人、おついてきた登山者が一人いた。

 

 
少し急な下りの後、平坦な路が続く。
 
分岐から30分すると、地図のとおり急な下りが始まる。
急な下りが終わるとゆるやかになり、渋沢(しぼさわ)温泉小屋跡分岐に着く。
この奥にあった渋沢温泉小屋は、2017年の冬に雪で倒壊してしまって今はない。
後から聞いた話では、過去、硫黄の採掘が行われていたそうだ。

 
小屋跡の分岐を下って、渋沢に着く。
橋は流され、橋桁のみ残っている。それでも石伝いに対岸に渡れる。

 
沢を渡った先は、只見川に沿って路が続く。ピンクテープも多い。
大きな山毛欅の樹が増え、東北の山らしくなる。
 
渋沢から10分ほどしたところで、ピンクテープが川に続いてた。
それに沿って川原に下るも路はなく、路に戻り、元の路を辿る。
あとで思うに、あのピンクテープは、釣り客のために設置されたものではないだろうかと考えた。

 
またしばらく、山毛欅の林を歩く。

 

 

 

 
渋沢から約1時間、高石沢に出る。
幅は5.5メートルほどだが、対岸には橋桁しか見えず、ロープが1本掛かっている。
ここが徒渉したところだろうか。
渡れるところがないかと、沢の上下を探したが、どこも同じだった。
覚悟を決め、徒渉することにする。

 

 

 
ちょうど、今回は、膝から下を取外せるパンツを履いていたので、パンツをめくる必要がなかった。
ロープは使わず、ストックでバランスを取る。
流れが早くなかったので、苦もなく渡りきる。
 
対岸で靴を履きなおしていると人の声がした。
びっくりして振り向くと、沢の向こうに一人の若者がいた。
『どうやって渡ったんですか』と聞いている。
「徒渉した」と大声で答える。彼も、さっそく靴を脱ぎだした。
どこから入山したのか聞いたところ、鳩の巣だという。
今朝、尾瀬ヶ原を通過して、ここまで来たそうだ。かなり早い。
自分はスピードの遅いことを断り、先を急ぐ。

 
また山毛欅の林を抜ける。
最後の沢が現れるも、仮設の橋があり、難なく通過する。

 

 
その先、少し歩くと広い駐車場に出る。
16時半、ここが小沢平(こぞうだいら)、国道352号線だ。
バス停とバイオトイレが設置されている。

 

 
後で聞いた話だが、この只見川は、大物の川魚が取れることで有名だそうだ。
この駐車場も、解禁になると釣り客の車で一杯になるのだろうか。
 
今まで山毛欅のおかげで雨に気付かなっかったが、国道に出た途端、小雨に気づく。
少し蒸し暑いが雨具を着て国道を歩く。
 
車が上へ下へと何台も通過する。
途中、畑とビニールハウスがあった。
ここにきて始めて鳥の声を聞けた。少し、ホッとする。
 
25分ほどで県界の金泉橋を渡る。
この橋は、2011年の大豪雨で流されたところだ。

 
さらに25分で平ヶ岳登山口に着く。両側の駐車場は、車で一杯だった。
駐車場が少ないので、みんな早めに来て、場所としているのだろう。
この台数からすると、明日の山は、かなり渋滞すのではと思った。

 

 
登山口から10分、国道を進むと小屋が見えてきた。
17時25分、鷹ノ巣高原キャンプ場に着いた。
左は清四郎小屋、右がキャンプ場で、手前に水場がある。

 

 
小屋でテント泊の申込をして料金3200円を払う。
キャンプ場は駐車場と兼用で、車の脇にテントが4張り張ってあった。
水場は屋根付きで、トイレは小屋の外にある。
 
2泊することを考え、キャンプ場の一番奥にツエルトを張る。
親綱を張ったところで、ペグを8本しか持ってこなかったことに気づく。
 
水場で他の登山者に声を掛けられる。
みんな、明日、平ヶ岳に登るようだが、何時に出発するか決めあぐっているようだ。
これは早出に限ると心の中で思った。
 
夕飯は、アルファー米の山菜おこわと、塩ラーメンの汁にカット野菜をどっさり入れた鍋だ。
初日は、野菜を食べるのが、最近の定番メニューになっている。

 
夜中、冷え込むjと思い、ダウンジャケットの上に雨具まで着込んだが、それほどまで冷え込まず、快適なツエルト泊だった。
 
 
 
 
2日目(晴れ)
 
昨夜はよく眠れた。
3時に起き、調理パン2個を口に押し込んで4時に出発する。
ライトを点け国道を登山口へと向かう。風が熊笹を唸らせる。
熊に遭いたくないので、国道でも笛を吹く。
 
10分程で登山口に着く。車で来た人たちは、すでに出発しているか、それとも発準備中なのか。
駐車場は、少し騒がしい。やはり人は多い。
クサリやロープの箇所があるが、人が多いと、そこで渋滞になって待たされることがある。
だから、人より早く進もうと、スピードを上げる。
後から思うに、これは失敗だったかもしれない。
長丁場の山行、体力の温存も必要だったかもしれない。
 
登山口で一人の登山者に声を掛けられ、なぜか一緒に歩くことになる。
4時13分、登山口出発。

 
最初のピーク、下台倉山までの標高差は800メートル弱ある。
まずは、石ころだらけの林道を登る。
ライトの電池の消耗を考え、明るさをセーブしていることもあって、石ころが見えづらく、歩き難い。
5分ほど歩くと一本橋を渡る。下台倉沢だろう。
 
植林の林を抜けると徐々につま先上がりの登りになる。
さらに30分ほどすると露岩の多い路に変わる。
この辺りまで暗く、景色もなにも見えない。

 
5時を回り辺りが明るくなり出したのでライトを消す。
登山口から1時間ほどしたころ、最初のロープ箇所が始まる。
見上げれば、先を歩く登山者のライトがいくつも見える。

 

 
急な岩の斜面が現れ、ロープが掛かっている。が、使わずに登る。
路は若干ぬかるんで黄土色をしている。
 
この辺りから、高木は減り、中低木に変わる。
その樹木の間から燧ヶ岳から駒ヶ岳に続く稜線をみられる。
その稜線の上がオレンジ色に輝いている。
太陽は隠れて見えないが、日の出を迎えたようだ。

 





 
途中、狭い尾根を通過する。
左右の斜面はガレて切れ落ちている。
 
標高1420メートルのコブを超え、少し下る。
そして、この先は急登になって、ロープが何か所も設置されている。
先を歩く登山者が見えて、その距離とスピードが分る。
途中でトレランの人に追い越される。

 

 

 

 

 

 

 
我慢の登りは30分くらい続き、6時ちょうど、下台倉山に到着する。
ここから先は、東側の眺望が良い。
燧ヶ岳から駒ヶ岳、三岩岳、窓明山、そして丸山岳に朝日岳を見渡しながら歩く。

 

 
下台倉山からはアップダウンの稜線を進む。
時々、尾根の西側に沿ってシラビソや石楠花、クロベイ、ビャクシン等の樹林帯に入ることもある。
尾根の東に出れば、紅葉が始まった景色の良い路になる。

 

 
次の台倉山の手前に木道の箇所がある。
木道があるところは、路もぬかるんで靴を汚す。

 

 

 

 

 
下台倉山から45分、6時47分、台倉山に到着する。
三等三角点の石標がある。

 
この辺りから、同じくらいの歩調で歩く人が数名が、前後しながら一緒に進むようになる。
 
山頂からの眺望もすばらしい。
左から朝日岳、丸山岳、駒ヶ岳が見える。燧ヶ岳の山頂は雲に隠れている。

 
山頂から下ると木道が始まる。路は樹林帯の中に入って行く。
 
10分ほどすると水場がある台倉清水に到着する。
ここは樹林帯の中、眺望はない。
水場は少し下ったところだそうだが、今回は確認していない。
この先、しばらく樹林帯の中の路が続く。
木道で時々ぬかるみの路になる。

 

 

 
台倉清水から35分、白沢清水に到着する。ここも樹林帯の中。
ここから40ほど歩くと、池ノ岳への急登が始まる。
急登が始まると同時に少しガスが出てくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
20分ほど急登を登ると、標高1950メートルの小段に着き、ここから池ノ岳が見える。
さらに20分登ると平坦になり、木道が始まる。
 
木道を進むとほどなく湿原の広がる池ノ岳山頂に到着する。
目の前に広がる紅葉した高層湿原と池塘は見事だ。
そして左手には、もっこりとした平ヶ岳の山頂が見える。
ここは人も多く、人気の山であることが分る。
写真を撮って9時少し前、出発する。

 

 

 

 
一旦下って、玉子石への分岐を通過する。まだまだ湿原は続く。

 

 
下りきったところも玉子石と水場の分岐だ。
その先は、背の低いコメツガや石楠花の登りに変わる。

 

 
再度、木道が始まると、山頂は近い。
人も声が聞こえる。木道を広くした場所に皆、休んでいる。

 

 

 

 

 

 
9時21分、平ヶ岳山頂に到着する。
正面には、燧ヶ岳が、その左には駒ヶ岳の稜線が続いている。
燧ヶ岳の右に至仏山が見えると登山者が話していた。
しかし、今見ると雲海に隠れて見えなくなっていた。

 

 
しかし、山頂で昼食をとっていると、一瞬だが雲が流れ、至仏山のなだらかな山頂を見ることができた。
至仏山の脇に、烏帽子のような形の山が見えた。
地図を見ると、それは日光白根山だった。
他に、駒ヶ岳の向こうには、田代山と帝釈山も見られた。

 
山頂の三角点は、広場を右に入った周囲を樹林で囲まれた場所にある。
写真を撮るべく列に並ぶ。
すると、抜きつ抜かれつした登山者の方が、写真を撮ってくれると言ってくれたのでカメラを渡す。

 
20分ほど山頂での山座同定を楽しみ、玉子石に向けて下山する。

 
湿原の中、木道を下り、さっきの分岐を左に折れる。
さらに木道を下ると沢に出る。ここが水場のようだ。水量はかなりある。

 
沢を渡ると、木道は登りになる。途中で分岐を左に折れる。

 

 

 

 
登りきるとまた池塘の多い湿原が現れる。
湿原の先、北側には、紅葉のきれいな山が見られる。
おそらく荒沢岳だと思う。稜線が荒々しく、いくつもの山頂が見られた。

 

 

 

 

 
湿原の端に古い木道があった。
地図で確認すると、中の岐登山口への下る木道を分かった。
令和の天皇陛下が皇太子時代に平ヶ岳に登った際に使った路らしい。
別名、プリンスロードと呼ばれるらしい。
この登山口は、登りの距離は少ないが、アプローチがとてつもなく長い。車の方向きだ。
 
木道が終わり下り坂になると石の頭が見えてくる。
人の人の声が聞こえ、玉子型の石が見えた。
10時24分、玉子石に到着する。

 
直径2メートルぐらいの石が、台の上にバランスよく乗っている。不思議な光景だ。
その先には、池塘が点在する湿原が広がっている。
その向こうには雲海。この風景もとても良い。
左手には、先登ってきた平ヶ岳も見える。

 

 

 

 
元来た路を戻り、分岐を直進して池ノ岳に戻る。

 
10時50分、池ノ岳に戻る。
山頂の木道の広場には、年配者を集めたツアーの団体さんが集まている。
この団体さんの後ろを下山するのは避けたいと思っていたら、プリンスロードを下ると聞きホッとする。

 
山頂の奥にも木の広場があり、そこで大休止する。
すると台倉山辺りから同じペースで歩いてきた男女二人パーティーが、ザックを広げなにかを取出した。
それはドローだった。
山でドローンを飛ばし、空の上から山の動画を撮るらしい。声を掛け話を聞く。
 
強風だと警告が出るそうで、今日の風速はギリギリとのこと。
風で飛んで行ったら回収不可能。
しかし、このドローンは、メルカリ定価7万円ぐらいのものを半額程度で購入したそうだ。
バッテリーの容量から、飛行時間は10分程度とのこと。
その他、今は飛ばすためには登録が必要で、機体の横に番号が書かれていた。

 

 
「ブーン」と大きな音を立てドローンが飛び立った。
そして上空を旋回すると平ヶ岳方向へと飛んでいく。
山頂がよく見えると言って、画像を見せてくれた。
 
1、2分して戻ってくると、今度は反対側に行って、今度は池ノ岳にいる自分達を撮るという。
思わず手を振って答える。
最近は、映されることを嫌がる方がいるので、映して欲しいと答えると喜んでいた。
 
11時、池ノ岳を辞する。
今日はここまで約14キロ歩いてきた。
すでに足はくたくた。残り10キロ歩かなければならないと思うと気が滅入る。

 
木道を少し進むと、今朝、登て来た景色のよい急登の下りが始まる。
右手には燧ヶ岳から駒ヶ岳の稜線。燧ヶ岳は、また頭を雲に隠した。
 
下りになっても登ってくる人が多い。
下りも抜きつ抜かれつ。いつもの山域なら、人に合わないので、今日は不思議な感覚だ。

 

 

 

 

 

 

 
45分ほど下り、11時47分、白沢清水に戻る。この辺りからしばらくは樹林帯を歩く。

 

 
さらに30分ほど歩き、台倉清水に戻る。ここで一本取る。
今日一日、同じペースで歩いてきた青いシャツの男性から「長いねえ」と話しかけられる。
本当に長い。真夏でなくて良かった。

 

 

 

 
12時34分、台倉山に戻る。
lこの先からまた景色が良くなる。一本取り、山座同定を楽しむ。
風が出てきた。でも雨具を着るほどでではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
13時23分、下台倉山に戻る。
朝4時から歩き、もう10時間半、疲れはマックス、ここでも一本取る。
これからは急な下るが始まるのでストックを仕舞う。

 
ロープが掛かった斜面を何か所も通過する。
ここにきて、登山者のスピードにばらつきが出る。
岩になれていない人は、ここでスピードダウンする。

 

 

 

 

 

 

 

 
尾根を下りながら眺める景色。
尾根の上に一本の路が続き、カラフルな登山者が何人も見える。
朝は暗くて気にしなかったが、ロープが掛かった箇所は、それなりに傾斜があり、やせ尾根も多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
急な下りを一人の女性に抜かれた。
少し行ったところでアウターを仕舞っていたので声を掛ける。
長岡から来たと言う。新潟の山の話しに盛り上がり、登山口まで一緒に歩く。

 
下台倉山から30分ほど下ると急な箇所は終了し、杉林に入る。
 
下台倉沢を渡り、石ころだらけの路を行くとゴールの登山口だ。

 
14時46分、平ヶ岳の登山口に戻る。
駐車場は、まだ車で一杯だった。
と言うより朝より車が増え、駐車場ではない路肩にも車を止めていた。

 
国道を歩いて14時59分、キャンプ場に戻ってきた。疲れたー!
足はくたくた。腕の筋肉もパンパンだ。

 

 
ペグを忘れ、一部を石で押さえていたツエルトは、倒れず立っていた。
そして今朝は結露で内側がびしょびしょだったが、すっかり乾いていた。

 
時間が早いが、夕飯にする。
今夜は、お祝いのタイカレーとポタージュスープにサラスパを入れ食する。

 
食事後、17時頃に清四郎小屋に行ってみる。
小屋の中のきれいなトイレを使うためだ。
ロビーに入るとポスターがたくさん張ってあった。
それを眺めているとテーブルにアルバムを見つけた。
ソファーに座り何冊もあるアルバムを見ていると、小屋のご主人、星さんが降りてきて、「キャンプの方かね。」と声を掛けてくれた。
そして小屋のこと、山のこと。古い昔の話しなど、いろいろなことを聞かせてくれた。
 
2011年の大豪雨は大変だったと、当時の写真を見せて説明してくれた。
星さんは、今年で88歳になる。
いつもは奥さんと二人だが、忙しい時には、知人の紹介で千葉から手伝いに来てくれる女性がいるという。今夜もその女性が、小屋の客の夕食の準備をしている。
星さんには二人の子供がいるが、街に出て所帯を持ち、ここを継ぐ気はないそうだ。
昭和44年ころから、冬は小屋を下りて、街で過ごしている。
今日も小屋を閉める準備で窓の外を板で塞いだそうだ。
年が年だけに、その作業も大変だとか。
昔、若いときには、小屋でも風呂でも、みんな自分でこしらえたそうだ。
(「星の店」の星さんの話しでは、清四郎小屋の星さんは、昔、桧枝岐で木工細工をしていたそうだ。)
しかし、足腰が衰え、しんどいという。
これから紅葉シーズンだというのに、もう小屋を閉めるそうだ。
後継者がいない星さんが一言、「お客さんが来年も来ますと言ってはくれるが、来年も小屋を開けられるかは分からない」とこぼす。
 
 
 
 
3日目(曇り・雨)
 
夜中、雨が降ったが、今朝はやんだ。
5時半に起きる。
今朝は期限切れ非常食の「イタリアンリゾット」と、病院食の「あめ湯」で朝食。

 
今日は帰るだけだが、同じルートで帰るのはおもしろくないので、奥只見湖を遊覧船で渡り、バスで浦佐駅に出る。途中、日帰り温泉につかり、普通列車で帰宅する計画だ。
 
ツエルトを畳むころには雨もすっかり上がり、7時半、キャンプ場を出発する。
キャンプ場には、ひと張りのテントが残っている。
昨日の朝、水場で声をかけてくれた女性のテントだ。
遊覧船の乗場、尾根口までバスを予約していいると行っていたので、ゆっくり目の出発だろう。

 

 
国道を歩く。新潟県側は沢の名称や高速への標識が多い。
35分ほどすると幟が見えた。
何お店か?近付くと「きのこ」の文字が見えた。そしてテントと人影が見える。

 
テントの下には、たくさんの山のきのこが並べられている。
すぐに親父さんが「お茶を飲んでいってくれ」と声をかけてくれる。
そして、奥さんがコーヒーときのこ料理を出してくれた。
親父さんは70歳ぐらい。名前を聞いたら「星さん」とのこと。
この地方には「星さん」が多いという。

 
この店の名前を聞くと、特に付けていないがと言いながら「星の店」と教えてくれた。
それから1時間、この店に居座ることになる。
 
サービスはコーヒーだけではない。調理された山のきのこが数種、山菜に大根の漬物、おでん、梨までむいてくれた。
山のきのこの調理方法を聞いて「ブナヒラタケ」と「ナラタケ」を買った。
それから畑で取れた唐辛子の酢漬けも1瓶、昔懐かしい「むかご」も1パック買う。
 
置いてあったアルバムを拝見する。
山のきのこを採った時の写真に混じって、仕留めたクマやイノシシの写真も多い。
星さんは猟師でもある。
そして2011年の水害の写真もあった。
星さんは多くを語らなかったが、大変だったと思う。

 

 

 

 
白いシャツを着た男性が、自分のライトバンに大根を積み込んでいた。
星さん畑で作った大根で白いのと紅ムラサキの2種類を作っていて、この大根の酢漬けを試食したが美味しかった。
 
白いシャツの方は小林さんという。
ここの常連さんで、この季節に毎週、埼玉の春日部から車で来て、星さんに恩返ししているそうだ。
毎年6月に1週間だけ只見川はフナが解禁になる。
釣り好きの小林さんは、星さんの家に泊まり込み釣りを楽しむらしい。
只見川は、大物が釣れることで有名とのこと。
そして秋になって、お世話になった星さんのため、毎週かけつけて、店の客寄せで手伝っている。
その客寄せの仕方が変わっている。
江戸時代の旅がらすのいでたちで店の前に立つ。
通る車は、そのいで立ちに驚き店に入る。
衣装は、役者をしていたお姉さんが使っていたものだそうだ。
お姉さんは、地方を回る劇団の役者だったが、もう引退し、衣装に限らずカツラや小道具などすべて捨てるところを、会社の忘年会で使おうと少し分けてもらっていたそうだ。
 
しばらくすると、着替えてきて、その衣装を見せてくれた。
ちょんまげのカツラ、打刀と脇差、ふところには巾着。
その巾着には、ちゃんと小判が入っているほどの凝りようだ。

 

 

 
9時半、星さんが、もう行った方が良いと言ってくれるまで時間も忘れ楽しんだ。
重い腰を上げザックを担ぐ。
 
星さんの店から25分で船着き場に着いた。バスはまだ来ていない。
船着き場は、2011年の災害で場所が変わってしまい、階段をだいぶ降りなければならない。
風は冷たいが日差しは暖かい。

 

 

 
出航の10分前にバスが付き、男性2人と女性1人が合流する。
 
船は定刻に来て、登山者を5、6人と入れ替えに4人が乗船する。

 

 

 
船長に料金1500円を支払う。
これから対岸のダムまで40分の船旅、後ろのデッキに座り景色を楽しむ。

 
出航して少しすると左手(東)から沢が合流する。
その沢の奥に会津駒ヶ岳が見えた。
 
左右の尾根の紅葉はまだ早い。
しかし、豪雪地域の山の特徴の雪でそぎ落とされた斜面は独特な景色だ。

 
只見湖の中ほどに来たとき、南に昨日歩いてきた台倉山の尾根が見えた。
船に乗り合わせた3人も昨日平ヶ岳に登った人達だ。
台倉山の紅葉と、紅葉にはまだ早い裾野の景色のコントラストがきれいだ。
少しすると、平ヶ岳が見えてきた。正確には、手前の池ノ岳だ。
なだらかな山の形は、山名そのままだ。

 
ダムに近づき、南西の谷の奥には荒沢岳が見えるはずだが、今日は雲の中だ。

 
ダムが見えてきた。
遊覧船が2艇係留されていて、近くの筏には釣り客がいた。
 
船が付くと階段を上がり、バス停まで歩く。

 

 

 

 
奥只見ダムは総貯水容量が日本で第2位の日本屈指の重力式コンクリートダムだ。

 

 

 

 
少し歩いた先、50メートルぐらい下がったところに広いバス停が見える。
左の斜面には、4人乗りのモノレールが走っていた。

 
広いバスターミナルの脇には三角屋根のレストハウスが2棟建っている。
紅葉シーズンには多くの観光バスが集まるのだろう。
 
バスの出発まで30分間、レストハウスに立ち寄りお土産を物色する。
そこで乾麺のへぎ蕎麦を買った。
自宅で食べたが、つなぎに海藻が使われているため、つるっとして美味しかった。
後で友達の三代川さんが、上野の吉池で売っている「妻有そば」がへぎ蕎麦では美味しいと教えてくれた。

 
バスは、船に乗り合わせた4人しかおらず、出発すると、雨が降り始めた。天気予報どおりだ。
 
途中のバス停、大湯温泉で一人乗り込む。
雨は土砂降り、折立温泉の日帰り入浴施設はあきらめ、そのまま浦佐駅まで乗る。
 
午後1時少し前、浦佐駅に到着する。
なぜかスイカは使えずきっぷを買う。
当初の計画どおり越後湯沢駅にある日帰り入浴に向かう。

 
途中駅はさびれた駅舎ばかり、スキー場も多い。

 
越後湯沢駅は、お土産物屋「ぽんしゅ館」の突き当りにある酒風呂に向かう。
入力料800円、タオル・バスタオル付き、内湯しかない
酒風呂とうたっているが、ほのかに香るくらいだ。
列車の時間まで1時間しかなく、早めのあがり、立ち食い蕎麦屋で山菜蕎麦でお昼にする。
 
15時8分発の普通列車水上行きは、今日は10分遅れ。
水上駅での接続は5分しかない。心配していると、アナウンスで、列車の出発を遅らせ接続するとのこと。一安心だ。
 
越後湯沢から電車に乗り込むと、なんと遊覧船で一緒だった女性が乗っていた。
浦佐駅で待っていたそうだが、自分が日帰り入浴に行った話をすると残念がっていた。
 
水上駅、高崎駅、赤羽駅と乗換え、ローカル線に揺れること4時間、都会の雑踏へ引き戻される。
心に残ったのは、紅葉の山と心地よい疲れだ。
 
【編集後記】
 
鷹ノ巣高原キャンプ場の前にある「清四郎小屋」のご主人、星さん(88歳)から聞いた2011年の新潟・福島豪雨の苦労話は忘れられない。
 
帰宅のルートを、福島県側に戻らず、奥只見湖を遊覧船に乗り、新潟県経由にした。
さらに、尾瀬口船着き場までバスも予約せず、徒歩にしたことで、貴重な山のきのこを販売する店「星の店」に出合えた。
その「星の店」で試食させてもらったきのこ料理は、今でも忘れられない。
なにより星さん(80歳)ご夫婦の暖かいもてなしも、最高の思い出だ。
(調理前の山のきのこ)

 
「清四郎小屋」の星さん、「星の店」の星さん、ともに後継者はいないそうだ。
来年も小屋を開けられるかは、来年でないと分からないと清四郎小屋の星さんがおぼしたひとことには、返す言葉がなかった。
 
 ( ^^) _旦~~  
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